十八史略004巻一三皇:黄帝軒轅氏(2)

黄帝昇天

十八史略・原文

嘗晝寢。夢遊華胥之國、怡然自得。其後天下大治。幾若華胥。世傳、黃帝采銅鑄鼎。鼎成、有龍、埀胡髯下迎。帝騎龍上天。羣臣後宮、從者七十餘人、小臣不得上、悉持龍髯。髯拔、墮弓。抱其弓而號。後丗、名其處曰、鼎湖、其弓曰、烏號。黃帝二十五子、其得姓者十四。

十八史略・書き下し

嘗て昼寝ぬ。夢に華胥之国に遊び、怡然として自ら得。其後天下大いに治まる。ほとんど華胥の若し。

世に伝うらく、黄帝銅を采りて鼎を鋳、鼎成りて竜有り、胡髯を垂らして下りて迎う。帝竜に騎りて天に上る。群臣後宮、従者七十余人あるも、小臣は上るを得不、悉く竜の髯を持つ。髯抜けて、弓堕つ。其の弓を抱き而く。後世、其の処を名づけて曰く、鼎湖、其の弓を曰く、烏号と。

黄帝の二十五子、其の姓を得る者は十四たり。

十八史略・現代語訳

以前黄帝が昼寝をした際、夢で華胥の国に行き、ふわふわと心楽しんで悟ることがあった。その後、天下はよく治まって、ほとんど華胥のようになった。

代々伝えられたところによると、黄帝は銅を掘り出して鼎を鋳たが、鼎が出来上がると天から竜が降りてきて、ヒゲを垂らして迎えに来た。黄帝はその竜にまたがって天に上がって行ってしまった。役人や後宮の女性など、家臣が七十余人いたが、小物なので天に上がれないから、全員が竜のヒゲにつかまった。しかしヒゲが抜けて一同が地べたに落ちた所へ、天から弓が降ってきた。その弓を胸に抱いて、一同がわあわあと泣き叫んだ。後の時代、その場所を鼎湖と言い、その弓を烏号と言う。

黄帝には二十五人の子があったが、黄帝の姓を引き継いで諸侯となった者は十四だった。

十八史略・訳注

華胥之國:黄帝が昼寝の夢の中で遊んだという平和な理想郷。転じて、安楽で平和な所。華胥の国。黄帝が昼寝の夢の中で遊んだという平和な理想郷。転じて、安楽で平和な所。華胥の国。

怡然:なごやかによろこび楽しげなさま。

自得:自分で悟る。

號:号泣という言葉があるように、わあわあと泣き叫んで何かを求めること。「よばわる」と読むのも良い。

鼎湖:『学研漢和大字典』に「湖北省荊(ケイ)山のふもと。黄帝がここで鼎を鋳造して、竜に乗って昇天したという伝説がある」とあるが、もちろん村おこしの類であり、架空である。

烏號:上記の通り弓の名だが、「衛の矢」とセットで名弓の別名となった。中島敦『名人伝』に、下記の通り用いられている。

二月ふたつきの後、たまたま家に帰って妻といさかいをした紀昌がこれをおどそうとて烏号うごうの弓に綦衛きえいの矢をつがえきりりと引絞ひきしぼって妻の目を射た。矢は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主ていしゅののしり続けた。けだし、彼の至芸による矢の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。
「烏」はカラスの形を描いた象形文字だが、音の「オ」はカラスの鳴き声で、『学研漢和大字典』によると、古代では•agと発音された。つまり「烏号」とは、”アーアーと泣き叫ぶ”の意でもある。

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