十八史略・巻六北宋:仁宗(4)

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十八史略・原文

交趾黎桓、景德中卒。子龍廷、殺其兄龍鉞、而自立來貢。賜名全忠。大中祥符閒、全忠卒。子幼。弟爭立。大校李公蘊、遂殺之而自立。至是公蘊卒。子德政立。來告喪。封交趾郡王。

契丹主隆緖殂。號聖宗。子宗眞立。

西夏趙德明卒。子元昊立。

十八史略・書き下し

交趾の黎桓、景徳中に卒す。子の龍廷、其の兄龍鉞を殺し、し而自ら立ちて来たりて貢ぐ。名を全忠と賜る。大中祥符の間、全忠卒す。子幼し。弟争いて立つ。

大校の李公蘊、遂に之を殺し而自ら立つ。是に至りて公蘊卒す。子の徳政立つ。来りて喪を告ぐ。交趾郡王に封ず。

契丹主隆緒く。聖宗とぶ。子の宗真立。西夏の趙徳明卒す。子の元昊立つ。

十八史略・現代語訳

交趾コウシ(ベトナム南部)のレイ桓が、景徳年間中に世を去った(1005)。子の龍廷が、兄の龍エツを殺し、自ら国王に立って、使いが宋に来て貢いだ。名を全忠と賜った。大中祥符年間、全忠が世を去った(1009)。子が幼なかったので、全忠の二人の弟が互いに王位を争って即位した。

上級武官の李公ウンが、とうとう全忠の弟らを殺し、自ら王に立った(1009)。そして公蘊が世を去り、子の徳政が王に立った(1028)。使いが来て公蘊の喪を告げた。交趾郡王に封じた。

契丹の君主、隆緒が世を去った(1031)。聖宗とおくり名した。子のの宗真が君主に立った。西夏の趙徳明が世を去った(1032)。子の李元昊が王位に立った。

十八史略・訳注

北宋地図

黎桓:941-1005。前期黎朝の開祖。
黎桓

景徳:1004-1007。北宋真宗の年号の一つ。

龍廷:986-1009。

大中祥符:1008-1016。北宋真宗の年号の一つ。

李公蘊:974-1028。李朝の開祖。

至是:松下文法によると、「是」は中称であり、日本語には中称がないから仕方なく「ここ」と近称に読むが、意味は違うという。この場合の「是」は、無形物で遠近が定められない時間のことであり、「於是」と同様、”そこで”・”そして”の意。時間的前後・因果関係がある場合に用いる接続句。林本の”この時になって”という訳には賛成しがたい。

隆緒:972-1031。耶律文殊奴。

殂:音ソ。ゆく。身分の高い人が死ぬ。逝去する。《同義語》⇒徂(ソ)。《類義語》逝(セイ)。会意兼形声文字。「歹(しぬ)+(音符)徂(ゆく)の略体」。死ぬことを忌んで「ゆく」といった。同様に「卒」は、身分の高い人が死ぬ。直接「死」といわず「(年を)卒(オ)えた」と表現した忌みことば。

宗真:1016-1055。耶律只骨。

趙徳明:981-1032。西夏の事実上の開祖。

李元昊:1003-1048。西夏の初代皇帝。

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