十八史略・巻六北宋:仁宗(7)

人間羞恥の事

十八史略・原文

仲淹還朝爲待制、知開封府。言亊愈急、數議時政。夷𥳑訴其越職。罷知饒州。館閣余靖・尹洙爭之。皆坐貶。歐陽脩、責諫官高若訥不諫謂、不知人閒有羞耻亊。若訥奏其書。亦貶。蔡襄作四賢一不肖詩、四賢指仲淹、洙・靖・修、不肖指若訥也。王曾因對、斥夷𥳑納賂示恩。夷𥳑・曾竝罷。王隨・陳堯佐代之。以無所建明而罷。張士遜・章得象代之。

十八史略・書き下し

仲淹朝に還りて待制と為り、開封府をおさむ。事を言う愈よ急にして、数ば時の政をはかる。夷簡其の職に越ゆるを訴う。罷められてジョウ州を知む。館閣余靖・尹洙之を争う。皆な坐しておとさる。

欧陽修、諌官高若訥の諌め不るを責めて謂く、人間羞恥の事有るを知ら不と。若訥、其の書を奏し、亦た貶さる。

蔡襄、四賢一不肖の詩を作り、四賢は仲淹・洙・靖・脩を指し、不肖は若訥を指す也。王曽、対に因りて、夷簡の賂を納れて恩を示すをそしる。夷簡・曽並びに罷めらる。

王随・陳尭佐之に代わる。明を建つる所無きを以而罷めらる。張士遜・章得象之に代わる。

十八史略・現代語訳

范仲淹は再び朝廷に戻って宮内顧問官になり、次いで首都開封府の知事になった。しかし政治についての発言が段々と激しくなり、何度も頻繁に時の国政を議論した。うるさく思った宰相の呂夷簡が、范仲淹が職分を超えた活動をしていると仁宗に訴えた。その結果范仲淹は都知事をクビになり、遠いジョウ州の知事に左遷された(1036)。館閣(学術顧問官)の余靖や尹洙が左遷に反対した所、彼らも皆連座して官位を下げられた。

そこで欧陽修が、仁宗の諌官(諌め役。政務審議官)である高若訥が、諌めなかったのを非難して言った。「人間界には恥というものがある。高若訥はそれを知らない恥知らずだ。」怒った高若訥が、その書面を仁宗に見せたところ、欧陽修も官位を落とされた。

次に蔡襄が「四賢一不肖」と題した詩を作ったが、四人の賢者とは范仲淹・尹洙・余靖・欧陽脩を指し、不肖=ばか者とは高若訥を指したのだった。宰相の一人だった王曽は、仁宗に奏上する機会を捉えて、呂夷簡がワイロを取って恩を売っていることを非難した。その結果、呂夷簡と王曽は揃って宰相をクビになった(1037)。

王随・陳尭佐が取って代わったが、これといって良い事をしないのを理由にクビになった(1038)。張士遜と章得象が取って代わった。

十八史略・訳注

范仲淹:989-1052。北宋の政治家で文人としても名高い。
范仲淹

待制:唐・宋代の官名。詔の下るのを待って詔勅を起草したり、政治上の顧問の役目を果たした。文官で六品以上の者が順番であたった。

饒州:現江西省上饒市鄱陽県一帯。
華南地図

館閣:宋代以後、優秀な学者・文人が勤めていた、昭文館・史館・集賢館・秘閣・リョウ閣・天章閣のこと。また、それらに勤めていた学者・文人のこと。図書の校正・収蔵をつかさどった。

余靖:1000-1064。

尹洙:1001-1047。

欧陽脩:1007-1072。
欧陽脩

高若訥:997-1055。

人間:世の中。

蔡襄:1012-1067。書家としても有名。
蔡襄

対:天子に対して意見を述べる上奏文の一体。

王随:973-1039。

陳堯佐:963-1044。

張士遜:964-1049。

章得象:978-1048。

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