十八史略・巻六北宋:仁宗(9)

韓琦

十八史略・原文

時軍興多事、張士遜無所補。諫官韓琦上疏曰、政事府豈養病坊邪。於是士遜致仕。夷𥳑復相。用韓琦・范仲淹爲邊帥。仲淹嘗兼知延州。夏人相戒曰、毋以延州爲意。小范老子、胸中自有數萬甲兵。不比大范老子可欺也。邊人爲之語曰、軍中有一韓、西賊聞之心膽寒。軍中有一范、西賊聞之驚破膽。昊之不得大逞、蓋籍琦・仲淹之宣力居多。

十八史略・書き下し

時にいくさの興りて事多かるも、張士遜補う所無し。諌官韓琦上疏して曰く、政事府豈に病いを養う坊ならん邪と。是に於いて士遜仕めを致す。夷簡復た相たり。韓琦・范仲淹を用いて辺帥と為す。

仲淹嘗て兼ねて延州をおさめたり。夏ひと相い戒めて曰く、延州を以ておもいをおこなかれ。小范老子、胸中自ら数万の甲兵有り。大范老子の欺く可きとならば不る也と。

辺人之が語りをつくりて曰く、軍中一韓有らば、西賊之を聞きて心胆寒し。軍中一范有らば、西賊之を聞きて驚き胆を破ると。昊之大いに逞しきを得不るは、蓋し琦・仲淹之力を宣べて居ること多きにる。

十八史略・現代語訳

その頃、戦いがあって朝廷には対処すべき事柄が多かったが、宰相の張士遜は何の役にも立たなかった。皇帝の諌め訳である韓琦が、意見書を奉って言った。「政府が病人の予後を養う場になっていいものでしょうか。」その結果、張士遜は辞任した(1040)。呂夷簡がまた宰相となり、韓琦・范仲淹を登用して、辺境守備軍の将軍に任じた。

范仲淹は以前、兼任で延州を治めたことがある。西夏人は互いにこう言って戒め合った。「小范老子(范仲淹の若親分)は、軍略に優れ胸の中に数万の武装兵を抱えているも同然。大范老子(范雍のご隠居)が騙し易いのと、同じに思うまいぞ。」

宋国辺境の人々も、物語を作って言った。「軍に韓琦将軍がいれば、西夏の賊どもは肝を冷やす。軍に范仲淹将軍がいれば、西夏の賊どもは驚いて胆を潰す。」李元昊が大暴れできなかったのは、思うに韓・范両将軍が勇戦して、少なからぬ時間、西の辺境に駐在したことにあるだろう。

十八史略・訳注

張士遜:964-1049。

韓琦:1008-1075。
韓琦

上疏:君主に意見書を奉ること。疏は一条ずつわけて意見をのべた上奏文。

坊:原義は方形に区切った街路。転じて、市街地の区画の名。転じて部屋、家。

致仕:辞任する。

呂夷𥳑:979-1044。

范仲淹:989-1052。

辺帥:国境守備軍の将軍。

延州:現陝西省延安市一帯。
華北地図

大范老子:無能を理由に、対西夏計略担当を外された范雍を指す。

昊:=李元昊。西夏初代皇帝。

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