十八史略・巻六北宋:仁宗(11)

慶暦の治

十八史略・原文

呂夷𥳑求罷、上遂欲更天下弊亊、增諫官員、命王素・歐陽脩・餘靖・蔡襄、供諫院職、以韓琦・范仲淹、爲樞密副使、召夏竦爲樞密使。諫官論罷竦、以杜衍代之。國子直講石介喜曰、此盛德亊也。乃作慶曆聖德詩。有曰、衆賢之進、如茆斯拔、大姦之去、如距斯脫。大姦指竦也。

十八史略・書き下し

呂夷簡罷むを求むるに、上遂に天下のやぶれ事を更めんと欲し、諌官のかずを増し、王素・欧陽修・余靖・蔡襄に命じて、諌院の職につかえしめ、韓琦・范仲淹を以て、枢密副使為らしめ、夏竦を召して枢密使為らしむ。

諌官論じて竦を罷め、杜衍を以て之に代う。国子直講石介喜びて曰く、此れ徳を盛んにする事也と。乃ち慶暦聖徳詩を作る。

曰う有り、衆賢之進むは、かやの斯に抜けるが如く、大姦之去るは、けづめの斯に脱けるが如しと。大姦は竦を指す也。

十八史略・現代語訳

呂夷簡が辞任を求めると、仁宗はそれを認めた(1043)。それと共に、国政の機能不全を立て直そうと望み、皇帝の諌め役である諌官を増員して、王素・欧陽修・余靖・蔡襄に命じて、諌めを掌る役所である諌院の職に任じ、韓琦・范仲淹を、軍務の最高機関である枢密院の副長官に任じ、夏竦を枢密使(大本営事務長官)に任じた。

しかし諌官(政務議官)が夏竦を糾弾したので罷免し、代わりに杜衍を任じた(1044)。国子直講(国立大学教官)である国子直講の石介が喜んで、「これは帝の徳を盛んにする事業である」と言った。そこで「慶暦聖徳詩」を作った。

その中にこういう言葉がある。「さまざまな賢者が朝廷に任用されるのは、カヤを引き抜くようにめでたいきざしであり、大悪党が朝廷を去るのは、闘鶏の蹴爪が抜けるようだ。」ここで言う大悪党とは、夏竦を指すのである。

十八史略・訳注

呂夷𥳑:979-1044。辞任の翌年世を去ったことになる。

遂:そのまま。

王素:1007-1073。

欧陽脩:1007-1072。
欧陽脩

餘靖(余靖):1000-1064。

蔡襄:1012-1067。
蔡襄

諫院:天子を諌める職務の役所。宋代では門下省が兼ねたと林本にある。

韓琦:1008-1075。
韓琦

范仲淹:989-1052。
范仲淹

樞密副使:枢密院は官庁名。天子が政治上の相談をする重要な役所。唐代に置かれ、宋代では軍事も扱った。長官を枢密使、次官を枢密副使といった。

夏竦:音カ・ショウ。985-1051。

杜衍:978-1057。

国子直講:国立大学である国子監の教官。太学博士と同義。

石介:1005-1045。

慶暦:北宋仁宗の年号。1041-1048。

茆:ジュンサイとカヤの両義があるが、『易経』の「初六、拔茅茹。」を踏まえるとカヤだろう。

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