十八史略・巻六北宋:仁宗(13)

列奏十事

十八史略・原文

仲淹遷參政、冨弼爲樞副。上旣擢仲淹等、每進見必以太平責之、開天章閣召對、賜坐給筆札。仲淹等皆惶恐、退列奏十亊。一曰、明黜陟。二曰、抑僥倖。三曰、精貢擧。四曰、擇官長。五曰、均公田。六曰、厚農桑。七曰、修武備。八曰、減徭役。九曰、覃恩信。十曰、重命令。上方信向、悉用其說。惟武備欲復府兵一說、宰相以爲不可。

十八史略・書き下し

仲淹参政に遷り、富弼枢副と為る。上既に仲淹等を擢きて、進見するに、必ず太平を以て之を責め、天章閣を開きて召しむかい、坐を賜いて筆札をあたう。仲淹等皆なおそれ恐れて、退きて十事をつらね奏す。

一に曰く、黜陟を明む。二に曰く、僥倖をおさう。三に曰く、貢挙をくわしくす。四に曰く、官長を択ぶ。五に曰く、公田をならす。六曰、農桑を厚くす。七に曰く、武備を修む。八に曰、徭役を減らす。九に曰く、恩信をおよぼす。十に曰く、命令を重んず。

上方に信向して、悉く其の説くを用う。惟だ武備に府兵を復すを欲するの一説は、宰相以て可なら不と為せり。

十八史略・現代語訳

仲淹は副宰相たる参治政事に転任し、富弼は副宰相補佐の枢密副使になった(1043)。仁宗は范仲淹らを抜擢した後、謁見するごとに天下太平を強く求め、宮殿の天章閣を執務室にあてがって差し向かいになって政務を相談し、椅子を賜って筆や紙も支給した。范仲淹らはみな恐れ入って、御前を下がって取り組むべき事柄を相談し、十にまとめて申し上げた。

一、官僚の昇進降格の理由を明瞭にする。二、人事からえこひいきを取り除く。三、科挙制度を精密にする。四、官庁の長官を選ぶ。五、官給の耕地を均一にする。六、農業・養蚕を保護する。七、軍備を増強する。八、民に課す労役を減らす。九、内外に皇帝の恩恵と信用を広げる。十、命令を慎重にする。

仁宗は当時、范仲淹らをひとえに信用していたので、この意見を全て採用した。ただし軍備について府兵(=徴兵制)の復活は、宰相が不可能だと言った。

十八史略・訳注

范仲淹:989-1052。
范仲淹

参政:=参知政事。宋代では副宰相にあたる。

富弼:1004-1083。
富弼

樞副:=枢密副使。枢密院の次官で副・副宰相に当たる。

天章閣:宮殿の建物の名。

筆札:筆と竹簡あるいは木簡のことだが、札は紙を古風に言ったもの。

黜陟:音チュツ・チョク。功績のない者をしりぞけ、功績のある者を昇官させること。

僥倖:思いもかけない、身分不相応な幸い(を望む者/事)。

貢挙:官僚の採用。具体的には科挙試験。

方:「まさに」とよみ、「ちょうど~する最中だ」「まさしく今」と訳す。

府兵:一種の徴兵制。中国の南北朝時代、西魏のときから始まり、唐代に整った兵制の一種。唐代、壮丁の兵役期間は三年、兵部直轄で地方に置かれた折衝府に召集され、帝都の警備と辺境守備にあたった。平時は農作業に従事し、農閑期に訓練を受けた。

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