十八史略・巻六北宋:仁宗(14)

杜衍封還

十八史略・原文

時章得象・晏殊、竝同平章事。未幾、仲淹宣撫陝西・河東、冨弼宣撫河北。竦等造謗。故仲淹等不安於朝。歐陽脩亦出使河北。晏殊罷。杜衍同平章事。衍務裁僥倖。每内降、率寖格不行。積詔旨十數、輙納上前。上嘗語諫官曰、外人知衍封還内降邪。朕在宮中、每以不可告而止者、多於所封還也。

十八史略・書き下し

時に章得象・晏殊、並びて同平章事たり。未だいくばくならずして、仲淹陝西・河東を宣撫し、富弼河北を宣撫す。竦等謗りを造る。故に仲淹等朝於安んぜ不。欧陽修亦た出でて河北に使いす。晏殊罷む。杜衍同平章事たり。衍務めて僥倖をつ。内降ある毎に、おおむただして行わ不。詔旨を積みて十数ならば、輒ち上の前に納む。上嘗て諌官に語りて曰く、外人衍の内降を封還せるを知る邪。朕宮中に在りて、以て告ぐ可から不し而止む者ある毎に、封還せる所より多き也。

十八史略・現代語訳

その当時、章得象と晏殊が並んで宰相たる同平章事を務めていた。呼び戻されて間もなく、范仲淹は陝西・河東の宣撫使に転任し、富弼は河北の宣撫使に転任した(1044)。夏竦の一党が悪口を言って止まなかったからで、范仲淹らは朝廷に安心できなかった。欧陽修もまた転出して河北都転運使に転じた。

晏殊がクビになって杜衍が同平章事になった(1044)。杜衍はできる限り、人事にえこひいきを無くした。人事について仁宗のご内意があるたびに、ほとんどは承認しないで発令しなかった。そのご内意が溜まって十を超えると、そのたびごとに仁宗の御前に突き返した。

仁宗はこう言ったことがある。「宮中の外におる者はどう思っておるか知らぬが、杜衍がワシの内意を突っ返してくるのを知っているのかのう。ワシは宮中におって、”これはまずい”と思って、口利きをやめておく人事の願い事を見かけるが、やめた以上に突っ返される内意の方が多いのじゃ。」

十八史略・訳注

章得象:978-1048。

晏殊:991-1055。

同平章事:=同中書門下平章事。唐・宋代の宰相。略して、平章事ともいう。中書・門下は役所の名。

范仲淹:989-1052。
范仲淹

宣撫:=宣撫使。唐代に置かれ宋代に踏襲された官職。軍事と辺境の安定を掌る。

富弼:1004-1083。
富弼

夏竦:音カ・ショウ。985-1051。

欧陽脩:1007-1072。
欧陽脩

使河北:”河北都転運使となった”と林本にある。転運使は唐代に各地の財貨を首都に運ぶ役職として置かれ、宋代に引き継がれた官職で、権限は幅広く、国境防衛・治安維持・刑事訴訟・財務・監察に及ぶ。

杜衍:978-1057。

内降:正規の手続きを経ないで皇帝からもたらされる意思表示。ご内意。

寖格:寖はやめる。格は正す。

輒:そのたびごとに。

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