十八史略・巻六北宋:仁宗(15)

一網打尽

十八史略・原文

會衍壻蘓舜欽、監進奏院、用鬻故帋公錢、祀神會客。御史中丞王拱辰、素不便衍等所爲。因攻其事。置獄得罪者數人。拱辰喜曰、吾一網打去盡矣。衍相七十日而罷。賈昌朝平章事兼樞密使。韓琦罷樞副知楊州事。章得象罷、陳執中平章事。昌朝罷、夏竦代爲樞密使。

十八史略・書き下し

たまたま衍の婿蘇舜欽、進奏院に監たり、故紙をひさぐの公銭を用いて、神を祀り客をもてなす。御史中丞王拱辰、素より衍等の為す所を便やすから不とし。因りて其の事を攻む。獄を置きて罪を得る者数人なり。拱辰喜びて曰く、吾一網にして打ち去ること尽きたりと。衍相たること七十日にし而罷めらる。

賈昌朝平章事に枢密使を兼ぬ。韓琦枢副を罷められ知楊州事たり。章得象罷められ、陳執中平章事たり。昌朝罷められ、夏竦代わりて枢密使為り。

十八史略・現代語訳

ちょうどその頃、杜衍の婿の蘇舜欽が、進奏院の監査役だったが、役所の反故紙を払い下げた公金を、勝手に使って法事を行い、客をもてなした。役人の監察を任とする御史中丞の王拱辰は、もともと杜衍一党の所業を苦々しく思っていたので、この件を取り上げて責め立てた。裁判が開かれ、有罪となった者が数人出た。王拱辰は喜んで、「これで一網打尽にしてやったぞ」と言った。杜衍は宰相となって七十日(正しくは百二十日)でクビになった(1045)。

賈昌朝が平章事(宰相)に枢密使(大本営事務長官)を兼ねた。韓琦は枢密副使をクビになり、楊州の知事に左遷された。次いで章得象も平章事をクビになり、陳執中が平章事になった。さらに賈昌朝も枢密使をクビになり、夏ショウが後任の枢密使になった(1047)。

十八史略・訳注

杜衍:978-1057。

蘇舜欽:1008-1048。

進奏院:唐代に始まる中央官庁の一つ。もと地方政府が首都に置いた出先連絡機関だったが、宋代には朝廷の意向を地方に伝達する機関となった。

進奏院 隸給事中、掌受詔敕及三省、樞密院宣扎、六曹、寺監百司符牒、頒於諸路。凡章奏至、則具事目上門下省。若案牘及申稟文書、則分納諸官司。凡奏牘違戾法式者、貼說以進。

熙寧四年、詔:“應朝廷擢用材能、賞功罰罪事可懲勸者、中書檢正、樞密院檢詳官月以事狀錄付院、謄報天下。”元祐初、罷之。紹聖元年、詔如熙寧舊條。靖康元年二月、詔:“諸道監司、帥守文字、應邊防機密急切事、許進奏院直赴通進司投進。”

舊制、通進、銀台司、知司官二人、兩制以上充。通進司、掌受銀台司所領天下章奏案牘、及閣門在京百司奏牘、文武近臣表疏、以進御、然後頒佈於外。銀台司、掌受天下奏狀案牘、抄錄其目進御、發付勾檢、糾其違失而督其淹綬。發敕司、掌受中書、樞密院宣敕、著籍以頒下之。(『宋史』職官志一)

御史中丞:官吏の監察を任とする御史台の次官。長官である大夫が通常欠員のため、事実上御史台の長官。

王拱辰:1012-1085。

置獄:裁判を開く。獄は裁判の意味が原義で、監獄・地獄の獄は派生義。下記参照。

賈昌朝:998-1065。

平章事:=同中書門下平章事。唐・宋代の宰相。略して、同平章事ともいう。

枢密使:枢密院は官庁名。天子が政治上の相談をする重要な役所。唐代に置かれ、宋代では軍事も扱った。長官を枢密使、次官を枢密副使といった。

韓琦:1008-1075。
韓琦

楊州:現江蘇省揚州市。文字が楊(ヤナギ)→揚(あげる)と入れ替わっている。
華南地図

章得象:978-1048。

陳執中:990-1059。

夏竦:音カ・ショウ。985-1051。

十八史略・付記

「獄」について。

犬へん〔犭〕はやがて動物一般を表す記号になる。…二匹の犬が向かい合って吠え合う姿をよくごらんになるだろう。だから両側に犬を書き、まん中に言(かど立ててものをいう)を入れると、獄という字になる。法廷で二人の男が、むきになって言い合っているのは、まったく犬のけんかにそっくりだ。獄訟(さいばん)の意味から、やがて監獄の獄となった。ゴツゴツと角ばる姿だから、さらに山嶽の嶽(岳は俗字)にもなる。いずれにせよ、犬のけんかにたとえたのは、ユーモラスな思いつきである。(藤堂明保『漢文入門』)

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