十八史略・巻六北宋:仁宗(16)

李元昊没す

十八史略・原文

貝州卒王則反。文彥博宣撫河北、討平之。彥博入爲平章亊。

趙元昊、慶曆初、嘗因范仲淹請和、反覆數歲、竟納款復稱臣。策命爲夏國王。名曩霄、歲賜銀絹茶綵二十五萬五千。遂不復寇邊。卒。子諒祚立。

陳執中、以無所建明罷。

夏竦罷。宋庠代之。尋同平章亊。未幾罷。

十八史略・書き下し

貝州の卒王則そむく。文彦博河北を宣撫し、討ちて之を平ぐ。彦博入りて平章事と為る。

趙元昊、慶暦初、嘗て范仲淹に因りて和を請うも、反覆数歳、竟に款を納れて復た臣を称す。策命して夏国王と為す。ノウショウと名づけ、歳ごとに銀絹茶綵二十五万五千を賜う。遂に復た辺にあだなさ不。卒す。子の諒祚立つ。

陳執中、建明する所無きを以て罷めらる。夏竦罷めらる。宋庠之に代わる。いで同平章事たり。未だいくばくせずして罷めらる。

十八史略・現代語訳

バイ州の兵卒だった王則が反乱を起こした(1047)。文ゲン博が河北の治安維持にあたり、討伐して鎮圧した。文彦博は朝廷に入って平章事(宰相の一人)になった(1048)。

西夏の趙元コウ(=李元昊)は、慶暦年間のはじめ、范仲淹を通して和平を申し入れ、その後数年はそむいたり従ったりを繰り返していたが、とうとう条約を結んで再び宋の臣下を称した。そこで任命書を与えて夏国王にした。ノウショウと名づけ、毎年銀・絹・茶・あやぎぬ二十五万五千を賜った(1044)。こうして二度と辺境を荒らし回らなくなった。その李元昊が世を去り、子のリョウが国王に即位した(1048)。

陳執中は、何ら良い事を始めないのを理由に宰相(同平章事)をクビになった。枢密使(大本営事務長官)の夏ショウがクビになった。宋ショウが取って代わった。さらに同平章事になった。しかし間もなくクビになった(1051)。

十八史略・訳注

貝州:現河北州南部から山東省北西部一帯。
華北地図

文彥博:1005-1096。なお林本に博とある字を博で代用した。以下同。
文彦博博

平章事:=同中書門下平章事。宋代の宰相。複数名が任じられた。

趙元昊:=李元昊。1038-1048。西夏の初代皇帝。

慶暦:1041-1048。北宋仁宗の年号の一つ。

范仲淹:989-1052。
范仲淹

竟:「結局」「とどのつまりは」「そのあげくに」と訳す。最初から最後まで続けてその最後にという意を示す。

納款:外国または、ほかの民族が友好関係を結ぶ申し入れをすること。敵によしみを通ずる、敵に内通するの意にも使う。この時の和約を慶暦の和約(1044)と言う。

策命:天子が任命書を出して臣下に爵位や領地を授ける。また、その任命書。

名曩霄:文脈上、「曩霄と名づけ」と読むしかないが、『宋史』仁宗紀には「元昊自名曩霄」とあり、李元昊が自称したことになっている。

綵:音サイ。あやぎぬ。染め模様の美しい絹。また、美しい色をとりあわせて染めた絹。

遂:「かくして」と訳す。最終的な結果としてという意を示す。

諒祚:1047-1068。西夏の毅宗。

陳執中:990-1059。

夏竦:音カ・ショウ。985-1051。

宋庠:996-1066。

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