十八史略・巻六北宋:仁宗(18)

相慶得人

十八史略・原文

陳執中・梁適平章亊。適罷、劉沆代之。執中罷、文彦博・冨弼竝同平章亊。士大夫相慶得人。上曰、人情如此、豈不賢於夢卜哉。上嘗問王素、孰可爲相。素曰、惟宦官宮妾不知姓名者、可充其選。上慨然曰、如此則冨弼耳。

契丹主宗眞殂。號興宗。子洪基立。

交趾李德政卒。子日遵立。

劉沆罷、文彦博罷、韓琦平章亊。冨弼罷。

十八史略・書き下し

陳執中・梁適平章事たり。適罷めらる、劉沆之に代わる。執中罷められて、文彥博・富弼並びて同平章事たり(1055)。士大夫人を得たるを相い慶ぶ。

上曰く、人情此の如し、豈に夢に卜うよりまさら不らん哉と。上嘗て王素に問えり、孰か相と為す可きと。素曰く、惟だ宦官宮妾の姓名を知ら不る者、其の選に充つ可しと。上慨然として曰く、此の如くんば則ち富弼耳と。

契丹主宗真す。興宗とよばう。子の洪基立つ(1055)。交趾李徳政卒す。子日遵立つ(1054)。

劉沆罷められ、文彦博罷められ、韓琦平章事たり(1058)。富弼罷めらる(1061)。

十八史略・現代語訳

陳執中・梁適が共に平章事(宰相)になった。遼適がクビになった。劉コウ之が取って代わった。執中がクビになって、文彦博と富弼が共に同平章事(=平章事)になった。士大夫は、宰相にふさわしい人物が地位に就いたのを喜び合った。

これを受けて仁宗が(欧陽修に)言った。「みな喜んでおる。夢で人材を選ぶよりよほどましではないか。」仁宗は以前、王素に問うたことがある。「誰を宰相にすればいいか。」王素が言った「宦官や女官で有名でない者がそれにふさわしいでしょうな。」仁宗は悲しげに言った。「それなら、富弼だけだな。」

契丹の君主、宗真が世を去った。興宗とおくり名した。子の洪基が王位に即いた。ベトナム李朝の李徳政が世を去った。子の日遵が王位に即いた。

劉沆が平章事をクビになり、文彦博も平章事をクビになり、韓琦が平章事になった。富弼も平章事をクビになった。

十八史略・訳注

陳執中:990-1059。

梁適:1000-1070。

平章事:=同中書門下平章事。宋代の宰相。複数名が任じられた。

劉沆:995-1060。

文彥博:1005-1096。
文彦博

富弼:1004-1083。
富弼

人情如此:林本によると、聞き手は欧陽修だったという。

夢卜:”夢と占い”と林本は解している。

王素:1007-1073。

宦官宮妾不知姓名者:仁宗が人事に口を出すことを皮肉って言ったものか。

慨然:林本は”意気込んで”とあるが、慨とは”なげく”ことであり、慨然は”胸がつまってなげくさま”と『学研漢和大字典』にある。

宗眞:1016-1055。遼の第七代皇帝。

洪基:1032-1011。道宗。契丹の第八代皇帝。

李德政:=李太宗。1000-1054。李朝第二代皇帝。

日遵:=李日尊、李聖宗。1023-1072。李朝第三代皇帝。

韓琦:1008-1075。
韓琦

冨弼罷:『宋史』仁宗紀に「富弼以母喪去位」とある。

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