十八史略・巻六北宋:英宗(1)

英宗即位

十八史略・原文

英宗皇帝初名宗實。濮安懿王允讓之子、太宗之曾孫也。仁宗立爲皇子、賜名曙。仁宗崩。固避數四、而後卽位。以憂疑致疾。慈聖光獻曹太后、權同聽政。上擧措或改常度、遇宦官尤少恩。左右多不悅。乃共以讒閒。兩宮遂成隙。賴宰相韓琦。參政歐陽脩等調護。上旣康復親政、太后撤簾。

十八史略・書き下し

英宗皇帝初めの名は宗実。濮安懿王允譲之子にして、太宗之曾孫也。仁宗立てて皇子と為し、名を曙と賜る。

仁宗崩ず。固く避けること数四、し而後位に即く。憂い疑うを以て疾を致す。慈聖光献曹太后、権に同じく政を聴く。

上の挙措、或いは常ののりを改め、宦官にのぞむに尤も恩少し。左右多く悦ば不。乃ち共に間を讒るをもちう。両宮遂に隙を成す。宰相韓琦、参政欧陽修等に頼りて調護とりなさる。

上既に康かに復りて親しく政をなし、太后簾をる。

十八史略・現代語訳

英宗皇帝、元の名は宗実。ボクイン譲の子で、太宗のひ孫である。仁宗が養子に取って皇子の身分を与え、曙という名を賜わった。

仁宗が世を去った。英宗は即位を四度固く断ったのち、皇帝の位に即いた(1063)。その間のやりとりで憂いや疑いがつのり、とうとう病気になった。そこで仁宗の皇后だった曹太后が、一時的に英宗と並んで政治の決済を行った。

英宗の立ち居振る舞いは、時として普通でなく、とりわけ身の回りを世話する宦官に辛く当たった。それゆえ側近の宦官も英宗を歓迎しなかったので、共に語らって太后との仲を裂こうとした。その結果、とうとう両者の間にわだかまりが出来た。そこで宰相の韓琦、副宰相の欧陽修らによって、両者の間が取りなされた。

英宗は健康を回復すると、親政を始めた。太后は玉座の後ろに設けられた、御簾で仕切られた自分の座所を取り去って、摂政をやめた(1064)。

十八史略・訳注

英宗皇帝:1032-1067。位1063-1067。
宋英宗

濮安懿王允讓:995-1059。

慈聖光献曹太后:1016-1079。仁宗の二人目の皇后。
曹皇后

韓琦:1008-1075。
韓琦

欧陽脩:1007-1072。
欧陽脩

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