王安石執政となる
十八史略・原文
冨弼、同平章事。王安石參政。安石旣執政。士大夫素重其名。以爲太平可立致。呂誨時爲御史中丞。將對。學士侍讀司馬光、亦將詣經筵、相遇竝行。光密問。今日所言何事。誨曰、袖中彈文、乃新參也。光愕然曰、衆喜得人。奈何論之。誨曰、君實亦爲此言邪。安石執偏見、喜人侫己。天下必受其弊。光退而思之、不得其說。搢紳閒有傳其疏者。往往疑其太過。誨言、大姦似忠。大詐似信。安石外示朴野、中藏巧詐、驕蹇慢上、陰賊害物。疏其十事。上兩降手詔喩誨。誨論之不已。遂罷誨。
十八史略・書き下し
富弼、同平章事たり。王安石参政たり。安石既に政を執る。士大夫素より其の名を重んず。以為く、太平立ちて致す可しと。
呂誨時に御史中丞為り。将に対わんとす。学士侍読司馬光、亦た将に経筵に詣でんとし、、相い遇いて並びて行く。光密かに問う。今日の言う所は何事ぞやと。誨曰く、袖中の弾め文、乃ち新参の也と。光愕然として曰く、衆人を得たるを喜ぶ。奈何ぞ之を論ぜんか。誨曰く、君実に亦た此の言を為す邪。安石偏見に執われ、人の己に佞るを喜ぶ。天下必ずや其の弊れを受けん。光退き而之を思えども、其の説を得不。
搢紳間に其の疏を伝える者有り。往往其の太だ過ぎたるを疑う。誨言く、大姦は忠に似たり。大詐は信に似たり。安石外に朴野を示し、中に巧詐を蔵し、驕蹇にして上を慢り、陰に賊なして物を害うと。其の十事を疏す。上両び手詔を降して誨を喩す。誨之を論じて已ま不。遂に誨を罷む。
十八史略・現代語訳
富弼が宰相の一人である同平章事になった。王安石は副宰相である参知政事になった(1069)。しかし王安石はすでに政治の実権を握っていた。士大夫は元々、王安石を高く評価していた。そして王安石なら、天下太平を確立できると思っていた。
この時、呂誨は官吏を監察する御史中丞(監察次官)を務めていた。そしてある日王安石と対決しようとしていた。翰林院所属の学士で、皇帝の家庭教師たる侍読の司馬光も、また皇帝への学問講義の席へ参上しようとしていた。たまたま呂誨と出会ったので、連れだって御座所に向かった。司馬光が小声で聞いた。「今日は何を言上するのですか。」呂誨が言った。「袖の中に弾劾文が入っている。いうまでもなくあの新参者(王安石)がやり玉だ。」司馬光は愕然として言った。「皆が、職にふさわしい人が現れた、と喜んでいます。何でまた、弾劾などなさるのですか。」呂誨が言った。「まったく君までも、同じ事を言うのかね。王安石は偏見に執われ、媚びへつらう者を贔屓にする。天下は必ず、その害を被るだろう。」司馬光は御前を引き下がってから、呂誨の話を考えてみたが、どうにも賛同できなかった。
士大夫の間では、呂誨の提出した弾劾文を伝えている者がいる。しかしその多くが、弾劾が行きすぎているといぶかしんだ。呂誨は言う。「大悪党は忠義者に似ている。大嘘つきは律儀者に似ている。王安石は、見た目は素朴で素直を装っているが、実は腹の中に、巧みな詐術を隠しているのだ。思い上がって悪だくみをし、皇帝陛下をあなどり、こっそり悪事を働いて、物事を台無しにする。」呂誨は王安石の悪口を十箇条にまとめて奏上した。神宗は二度にわたって、私的に説教文を下して呂誨を諭したが、呂誨は王安石の悪口を言って止めない。とうとう神宗は呂誨をクビにした(1069)。
十八史略・訳注
富弼:1004-1083。
同平章事:=同中書門下平章事。宋代の宰相。複数名が任じられた。
王安石:1021-1086。
参政:=参知政事。宋代では副宰相にあたる。
呂誨:1014-1071。
御史中丞:官吏の監察を任とする御史台の次官。長官である大夫が通常欠員のため、事実上御史台の長官。
司馬光:1019-1086。
驕蹇:=驕横。おごり高ぶって、道理にはずれること。「蹇」は、不正。
疏:一条ずつわけて意見をのべた上奏文。