十八史略・巻六北宋:神宗(5)

新法反対運動始まる

十八史略・原文

遣使察農田水利。 

罷義倉。 

行均輸法。 

臺諫劉琦・錢顗、以議新法貶。 

諫院范純仁・檢詳文字蘇轍、以議新法罷。 

行靑苗法。置常平官。 

冨弼罷、陳升之同平章事。升之初附安石、旣相頗爲異同。 

行預買法、令諸路預給錢、和買紬絹。 

趙抃罷。抃日所爲亊、夜必焚香告於天。 

親試擧人、初用策。葉祖洽以附會新法、擢爲第一。 

右正言孫覺・御史裏行程顥、以議新法罷。 

中丞呂公著・裏行張戬、以議新法罷。 

李定爲裏行。知制誥宋敏求・蘇頌・李大臨、以繳定詞頭罷。

十八史略・書き下し

使を遣わして農田水利を察せしむ。

義倉を罷む。

均輸法を行う。

台諌劉琦・銭顗、新法をそしるを以ておとさる。

諌院范純仁・検詳文字蘇轍、新法を議るを以て罷めらる。

青苗法を行う。常平官を置く。

富弼罷めらる、陳升之同平章事たり。升之初め安石に附くも、既に相たりて頗る異同を為す。

預買法を行い、諸路に令して預め銭をあたえて、紬絹を和らぎ買わしむ。

趙抃罷めらる。抃日に為す所の事、夜必ず香を焚きて天於告ぐ。

親しく挙人を試し、初めて策を用う。葉祖洽新法に附会こじつくるを以て、擢かれて第一と為る。

右正言孫覚・御史裏行程顥、新法を議るを以て罷めらる。

中丞呂公著・裏行張戬、新法を議るを以て罷めらる。

李定裏行為り。知制誥宋敏求・蘇頌・李大臨、定の詞頭をかえすを以て罷めらる。

十八史略・現代語訳

三司条例司の発議により、視察官を派遣して、各地の農田や水利を視察させた(1069)。

太祖の始めた、義倉(非常穀物倉庫)を廃止した。

均輸法(国営流通・倉庫業)を行う(1069)。

台諌(御史台所属の政務議官)である劉琦・銭ガイが、新法を批判したかどで官位を下げられた(1069)。

諌院(政務議官)の范純仁・検詳文字(秘書室員)の蘇轍が、新法を批判したかどでクビになった。

青苗法(国営高利貸)を行う。常平官(物価統制官)を置く(1069)。

富弼が宰相をクビになった。陳升之が同平章事(宰相の一人)になった(1069)。升之は初めのうち王安石の与党だったが、宰相になった途端、まったく意見を異にした。

予買法を行い、諸路(宋代最大の行政単位)に命じて、職人にあらかじめ代金を渡して、出来上がった紬や絹を買い上げさせた。

趙抃が副宰相をクビになった(1070)。抃は昼間に行ったことを、夜必ず香を焚いて天に報告していた。

神宗が親しく挙人を試験し、初めて策(時事対策論文)を課した。葉祖洽が、新法におもねった文章を書いて、第一番の評価を得た。

右正言(政務議官の一)孫覚・御史裏行(政務議官見習い)の程顥が、新法を批判したかどでクビになった(1070)。

中丞(政務議官の一)呂公著と、裏行(見習い)の張センが、新法を批判したかどでクビになった(1070)。

李定が裏行になった(1070)。その際、知制誥(詔勅の起草役)の宋敏求・蘇ショウ・李大臨が、李定の辞令書に封をしたまま神宗に突き返したので、クビになった。

十八史略・訳注

義倉:不作に備えた貯蔵庫。林本では”太祖が設置した””三司条例司の意見で廃止”とある。

均輸法:wikipediaより引用。 

1069年(熙寧2年)7月施行。当時、大商人に握られていた物資の運輸を発運使という役を使うことで政府の統制の下に置き、中央への上供品の回送を行って財政収入確保の効率化を図るとともに物価の調整を行う。旧法派の反対により頓挫し、市易法に吸収されることになる。

臺諫:政務議官のうち、御史台所属の侍御史・殿中侍御史・監察御史を台官と言い、諌議大夫・拾遺・補欠・正言を諌官という。両者を合わせた名称。

劉琦:宣城の人。字は公玉。博学の士。官は侍御史。

錢顗:常州無錫の人。字は安道。「鉄肝御史」のあだ名で呼ばれた。

知諌院:皇帝の諌め役である諌院の長官。宋初は門下省が諌院を兼ねたが、仁宗の明道元年 (1032) 年に諫官陳執中が院の設置を請い、門下省から独立した。

范純仁:1027-1101。

檢詳文字:朝廷の機密文書を掌る官。

蘇轍:1039-1112
蘇轍

靑苗法:wikipediaより引用。

1069年(熙寧2年)9月に施行。宋代には天災による飢饉に対する備えや貧民救済のために穀物を蓄えておく常平倉・広恵倉というものがあった。しかしこれの運用がまずく、蓄えられている穀物が無駄に腐っていくことも多かったので、これを利用して農民に対する貸付を行った。
毎年、正月と5月に貸付を行い、基本は貨幣(これを青苗銭と呼ぶ)による貸付・穀物による返済であるが、望むものには穀物での貸付・貨幣での返済を認める。利息は3割と民間の高利貸しと大差が無い。
貸付にあたり、10戸が集まって1保を作り、この間で連帯保証を行う。これの実施のために、全国の路(宋の地方における最大行政単位)ごとに提挙常平司を置く。

常平官:林本は”物価の高低を調査する官”という。大漢和には常平・常平倉は記載あるも常平官の項目無し。以下は国学大師より引用。

提举常平官
官名通称。简称提仓。北宋真宗时、诸路常平仓设提举官。神宗时、为推行新法、各路差提举常平广惠仓兼管勾农田水利差役事。后或废或置。南宋时、与提举茶盐官合为一职、称提举茶盐常平等公事或提举常平茶盐公事、通称提举常平官。掌本路役钱、青苗钱、义仓、赈济、水利、茶盐等事、与转运使分管财赋、并监察本路官吏。其官署称提举常平司或常平司、简称仓司、庾司。

官名。宋熙宁二年(公元1069年)置东京等路常平广惠仓兼管勾农田水利差役事。不久、诸路均设提举官。元祐初罢废、并其职于提点刑狱司。绍圣初复置、称提举茶盐常平公事或提举常平茶盐公事。元符以后因之、通称提举常平官。掌常平、义仓、免役、市易、坊场、河渡、水利之法、根据年成之丰歉而为之敛散;并有监察各州官吏之权。其官署称提举常平司、简称仓司。

富弼:1004-1083。
富弼

陳升之:1011-1079。

同平章事:=同中書門下平章事。宋代の宰相。複数名が任じられた。

路:宋代、都を中心として、方向によってわけた行政区画。東路・西路・北路・南路などをおいた。現代の省にあたる。

趙抃:音チョウ・ベン。1008-1084。

親試擧人、初用策:wikipediaより引用。

科挙改革:1070年(熙寧3年)3月から開始。それまでの科挙は経書の丸暗記、詩と文の作成能力が主要な課題であったが、これによってできる人物は実務能力には乏しく、その下で実務を行う胥吏による専権と汚職がひどくなった。
これに対してそれまでの詩文の試験を大幅に縮小し、それに代わって経書の内容的理解とそれの現実政治に対する実践を論文に纏める能力を問う進士科1本に絞る。以後、進士が科挙合格者と同義になる。
経書については『論語』・『孟子』が必須で、それ以外の五経はどれか1つの選択とした。この場合の五経は通常のものから『春秋』を除き、王安石が思想的・政治的後ろ盾としていた『周礼』を入れている。また王安石自身が『周礼』・息子の王雱が『詩経』・『書経』に注釈を施し、『三経新義』を刊行し、科挙受験者の必読の書とした。

葉祖洽:1046-1117。

右正言:諌官(政務議官)の一つ。

孫覺:1028-1090。

裏行:見習い。

程顥:音テイ・コウ。=程明道。程伊川の兄。1032-1085。

中丞:=御史中丞。諌官の一つ。

呂公著:1018-1089。

張戬:音チョウ・セン。1030-1076。

李定:?-1087。

李定爲裏行:林本は”安石にこびへつらって、一躍して観察御史裏行となった”と訳す。

知制誥:中書省に所属し、皇帝の命令書である制・誥の草案を作る役職。

宋敏求:1019-1079。

蘇頌:1020-1101。
蘇頌

李大臨:1010-1086。

:音シャク。突き返す。林本は”常軌を逸した余りの昇進は役所の秩序を乱すものとして”と訳している。

詞頭:漢語網より引用。

朝廷命詞臣撰擬詔敕時的摘由或提要。
唐白居易《中書寓直》詩:“病對詞頭慚彩筆、老看鏡面愧華簪。”宋費袞《梁溪漫志·學士不草詔》:“唐制惟給事中得封駮、本朝富鄭公在西掖封還遂國夫人詞頭、自是舍人遂皆得封繳。”清袁枚《隨園詩話》卷一:“余以翰林、改官江南、一時送行詩甚多、其佳者如:劉文定公綸時官編修、詩云:‘弱水神仙少定居、詞頭草罷領除書。’”
語言學用語。即前綴、加在詞根前面的構詞成分。如“阿姨”的“阿”、“老王”的“老”。
辭書學用語。即詞目。參見“詞目”。

古代漢語有些詞有前附加成分、類似今天的“哥”前加“阿”成為“阿哥”。它們本身沒有詞匯意義、只是表示詞性。這種前附加成分、語法學界將其稱為詞頭(前綴)。

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