十八史略・巻六北宋:神宗(6)

王安石、宰相になる

十八史略・原文

謝景溫爲御史知雜。 

直史館蘇軾以嘗上萬言書、及擬對廷試策、議新法、忤安石、爲景溫所劾去。 

鄧綰上書言、陛下得伊・呂之佐、百姓歌舞靑苗免役等法。又與安石書及頌。置中書檢正、以綰爲之。鄕人皆笑罵。綰曰、笑罵從佗笑罵。好官我須爲之。 

曾公亮罷。 

策制科人。呂陶・張繪・孔文仲、力𧦄新法。皆報罷。 

范鎭以數議新法、及嘗薦蘇軾・孔文仲罷。乞致仕。陳升之罷。 

韓絳・王安石同平章事。 

立保甲法。 

曾布爲中書檢正。 

更科擧法、罷詩賦・明經諸科、以經義・論策試進士。

十八史略・書き下し

謝景温御史知雑為り。

直史館蘇軾、嘗て万言書を上せ、及び廷試の策に対うるになぞらえ、新法をそしり、安石にさからえるを以て、景温のげる所と為りて去る。

鄧綰上書して言く、陛下伊・呂之佐けを得て、百姓青苗免役等の法に歌舞すと。又た安石に書及び頌を与う。

中書検正を置きて、綰を以て之と為す。郷人皆な笑い罵る。綰曰く、笑罵はかれの笑い罵るに従わん。好き官は我れ須く之と為るべし。

曽公亮罷めらる。

制科の人に策す。呂陶・張絵・孔文仲、力めて新法を𧦄そしり、皆な報われて罷めらる。

范鎮しばしば新法を議り、及び嘗て蘇軾・孔文仲を薦むるを以て罷めらる。致仕を乞う。陳升之罷めらる。

韓絳・王安石、同平章事たり。

保甲法を立つ。

曽布中書検正為り。

科挙の法を更め、詩賦・明経諸科を罷め、経義・論策を以て進士を試す。

十八史略・現代語訳

謝景温が御史知雑(監察官庁である御史台の雑務係)になった。

直史館(記録や歴史編纂に当たる名誉職)蘇軾が、かつて皇帝に万言書を提出し、その書式が殿試(皇帝親裁の科挙最終試験)で課される時事論文の形をまねており、そこで新法を批判し、王安石に逆らったので、謝景温に告発されてクビになった。

寧州(甘粛省)の通判(監察官)だった鄧ワンが、神宗に上書して言った。「陛下はいにしえの名臣、伊インや太公望呂尚のような補佐を受けて、民百姓は青苗法や免役法などの新法を喜び歌い踊っています。」また安石に書と頌(功績や人がらをたたえるポエム)を贈った。

王安石は喜んで、新たに中書検正(内閣官房書記官)の職を設置して、鄧綰を都に呼び寄せて就任させた。鄧綰の故郷(四川省)の者はそろって嘲り罵った。しかし鄧綰は平気な顔で、「笑わば笑え。美味しい官職は私のものだ」と言った。

曽公亮が平章事(宰相)をクビになった(1070)。

制科(皇帝親裁の特別官僚採用試験)の受験者に時事問題を書かせた(1070)。その頃、すでに官職にあった呂陶・張絵・孔文仲が、強い調子で新法を批判したので、その報復人事でクビになった。

翰林学士の范鎮が、何度も新法を批判し、その上かつて蘇軾・孔文仲を推薦したことをとがめられてクビを言い渡された(1070)。范鎮は自分から引退したいと申し出た。宰相の陳升之がクビになった(1070)。

韓絳と王安石が、同平章事(宰相)になった(1070)。

保甲法を施行した(1070)。

曽布が中書検正になった。

科挙の法を改め、詩賦(作詩の才能を試すコース)・明経(儒学経典の知識を試すコース)などの諸科を廃止し、儒学経典の解釈と時事論文を課して進士志願者を試験した(1071)。

十八史略・訳注

謝景溫:1021-1097。王安石の親戚。

御史知雜:官吏の監察機構である御史台の雑事を掌る官職。

直史館:wikipediaより引用。

史館(しかん)とは、中国北宋時代に宮中に置かれ、史料・図書を所蔵・管理した施設。昭文館・集賢館とともに「三館」とも称された。

監修国史を兼ねる宰相を責任者とし、その下に史館修撰・同史館修撰・直史館などが置かれた。とは言え、国史・実録を編纂する時以外は常設の官職ではなく、もっぱら名誉職的な意味合いが強かった。更に実際の編纂時にも国史院や実録院のような臨時の機関が置かれていた。そのため、南宋に入ると、国史院の方が常設とされ、史館は置かれなくなった。

蘇軾:1037-1101。
蘇軾

王安石:1021-1086。
王安石

鄧綰:1028-1086。音トウ・ワンのはずだが、林本は「とうくわん」とルビを振っている。ワンは漢音で、宋代の発音は唐音だから、違うのかも知れない。

靑苗免役等法:wikipediaより引用。林本は1070年のこととする。

青苗法:1069年(熙寧2年)9月に施行。宋代には天災による飢饉に対する備えや貧民救済のために穀物を蓄えておく常平倉・広恵倉というものがあった。しかしこれの運用がまずく、蓄えられている穀物が無駄に腐っていくことも多かったので、これを利用して農民に対する貸付を行った。
毎年、正月と5月に貸付を行い、基本は貨幣(これを青苗銭と呼ぶ)による貸付・穀物による返済であるが、望むものには穀物での貸付・貨幣での返済を認める。利息は3割と民間の高利貸しと大差が無い。
貸付にあたり、10戸が集まって1保を作り、この間で連帯保証を行う。これの実施のために、全国の路(宋の地方における最大行政単位)ごとに提挙常平司を置く。

免役法:1070年(熙寧3年)から開封周辺で試験的に運用し、1071年10月から全国的に施行。募役法とも言う。
従来の農民、主に形勢戸たちは政府の様々な雑用(職役)、州郡の倉庫管理・租税運搬・官の送迎などを課せられていたが、この負担は非常に重く、事故で損害があった場合は全てを補償せねばならず、何かと言えば官と胥吏に賄賂を求められる。一応政府からの支給はあったが必要な額はそれをはるかに超えていることが多く、これが元で破産してしまう形勢戸も少なくなかった。これを差役法と言う。
そこで職役を課す代わりにその分を貨幣(これを免役銭と呼ぶ)で収めさせ、それを使って人を雇い、職役を行わせる。また元々職役が免除されていた官戸・寺院・道観(道教の寺院)・坊郭戸(都市住民)・単丁戸(丁(働き手の男性)が一人しかいない戸)・未成丁戸(まだ丁になっていない子供しかいない戸)・女戸(女性しかいない戸)などからも助役銭と称して免役銭の半分を徴収した。

中書檢正:京都大學人文科學研究所教授・梅原郁による、熊本崇「中書檢正官―王安石政權のにないてたち―」(東洋史研究第四七卷第一號)の書評より引用。

中書檢正官とは、王安石が宰相となり、皇帝神宗と絶対ともいえる信頼關係を固めた煕寧三年九月(一〇七〇)に設置され、安石が政權を掌握していた熙寧年間約七年の間、新法請政策の先頭にたった人たちが持った職名である。それは擔當領域によって、吏、戸、禮、刑、孔目の五房(部局)に分かれ、それぞれたとえば檢正中書刑房公事などと呼ばれる。定員は各房二名づつ合計十名、それを一人の都檢正官が統轄する。檢正官は直屬の部下は持たず、すべて宰相(中書)王安石の屬官あるいは分身として働く。この論文の副題にも示されているように、王安石政権の實務派グループ、蔭の内閣官房とでもいえ、とくに都檢正は熊本氏の言葉を借りれば與黨の幹事長に比すべき存在であった。

曾公亮:999-1078。
曽公亮

制科:科挙(高級官僚登用試験)の一種で、通常の科挙が三段階を経るのに対し、皇帝親裁の一度の試験で合否を決める。

策制科人:林本は呂陶以下の人物が、制科の答案で新法を批判したと解しているが、彼らはすでに官職にあり、理屈が合わない。

呂陶:1028-1114。

張繪:検索ヒットなし。大漢和になし。宋史に伝なし。

孔文仲:1038-1088。

范鎭:1007?-1089?
范鎮

陳升之:1011-1079。

陳升之罷:『宋史』には「陳升之以母憂去位」とある。

韓絳:1005-1088。

同平章事:=同中書門下平章事。宋代の宰相。複数名が任じられた。

保甲法:wikipediaより引用。

1070年(熙寧3年)12月施行。弱体化した軍隊と郷村制の再編を目的とした法。10戸を1保、5保を1大保、10大保を1都保とし、保の中では互いに犯罪監視を行わせ、犯罪が起きた場合には共同責任とする。保の中で簡単な軍事訓練を行わせ、民兵とする。

 
曾布:1036-1107。

更科擧法:wikipediaより引用。

1070年(熙寧3年)3月から開始。それまでの科挙は経書の丸暗記、詩と文の作成能力が主要な課題であったが、これによってできる人物は実務能力には乏しく、その下で実務を行う胥吏による専権と汚職がひどくなった。
これに対してそれまでの詩文の試験を大幅に縮小し、それに代わって経書の内容的理解とそれの現実政治に対する実践を論文に纏める能力を問う進士科1本に絞る。以後、進士が科挙合格者と同義になる。
経書については『論語』・『孟子』が必須で、それ以外の五経はどれか1つの選択とした。この場合の五経は通常のものから『春秋』を除き、王安石が思想的・政治的後ろ盾としていた『周礼』を入れている。また王安石自身が『周礼』・息子の王雱が『詩経』・『書経』に注釈を施し、『三経新義』を刊行し、科挙受験者の必読の書とした。

十八史略・付記

そしてクビになった蘇軾=蘇東坡は、華南料理の本場・杭州の通判(監察使)となって食い道楽に励み、有名なトンポーロー(東坡肉)が出来たという。さらに当たると死ぬかも知れないフグを味わい、そのうまさを讃えた。禅僧恵崇の描いた「春江曉景」を題にしたポエム。

スウのシュンコウギョウケイ二首 その

竹外桃花三兩枝。春江水暖鴨先知。蔞蒿滿地蘆芽短。正是河豚欲上時。

竹外の桃花、三兩の枝。はるコウ水暖かなるは鴨先に知る。ロウコウ地に滿ちて蘆の芽短し。正に是れ河豚の上らんと欲する時。

竹やぶの外に ちらほら桃が咲いたよ。
春になり長江もぬるむ 真っ先に鴨が知る。
白ヨモギが茂って 葦も芽吹き始めた。
さあさあお待ちかね フグがやってくるぞう。

(『蘇東坡全集』卷十五·詩七十二首)

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