十八史略・巻六北宋:神宗(10)

王安石、一度目の失脚

十八史略・原文

時以旱故求直言。言者皆咎新法。上疑欲罷之。安石不悅、求去。除知江寧府。安石薦韓絳、代己爲相。呂惠卿爲參政。時號絳爲傳法沙門、惠卿爲護法善神。惠卿建議、免役出錢不均、出於簿書之不善。行手實法。惠卿旣得勢、恐安石復入、遂逆閉其途、出安石私書。有勿令上知之語。凡可以害安石者、無所不用其智。又數與絳忤。絳乘閒白上、復相安石。安石罷不一年再入。聞命不辭、自金陵七日至闕下。後數月、絳與惠卿相繼罷。 

行戶馬法。

十八史略・書き下し

時に旱を以ての故に直言を求む。言う者皆な新法を咎む。上疑いて之を罷めんと欲す。安石悦ば不、去るを求む。知江寧府に除せらる。安石韓絳を薦め、己れに代わりて相為らしめんとす。

呂恵卿参政為り。時によばいて絳を伝法沙門と為し、恵卿を護法善神と為す。恵卿議りを建つらく、免役の銭を出すの均しから不るは、簿書之善から不る於出づと。手実法を行う。

恵卿既に勢いを得、安石の復た入るるを恐れ、遂にあらかじめ其の途を閉さんとし、安石の私書を出す。上を令て知らしむ勿れ之語有り。凡そ以て安石を害うばかりの者は、其の智を用い不る所無し。又た数ば絳与さからう。

絳間に乗りて上に白し、復た安石相たり。安石罷められて一年なら不して再び入る。命を聞くやいなば不、金陵自り七日にして闕下に至る。数月の後、絳与恵卿相い継ぎて罷めらる。

戸馬法を行う。

十八史略・現代語訳

その時(1074)、ひでりを理由に神宗は率直な意見を求めた。意見を言う者は全て、新法を批判した。神宗は新法を疑って、廃止しようと考えた。当然王安石は不機嫌になって、辞任を申し出た。その結果、江寧府の知事に転勤させられた。王安石は神宗に韓絳を推薦し、自分の代わりに宰相に据えようと考えた。(神宗は受け入れた。)呂恵卿が参政(副宰相)になった。

時の世論はしきりに、韓絳を伝法沙門(仏法を伝えて下さる有り難いお坊様)と呼び、呂恵卿を護法善神(仏法を護持する福の神)と呼んだ。呂恵卿が意見を述べた。「免役法の財源負担に不公平があるのは、帳簿がでたらめだからだ。」そこで戸籍と土地の調査を登記した。

呂恵卿は自分の権力が固まると、王安石が復活するのを恐れて、その結果その可能性を封じようとして、王安石から受け取った私信を公開した。そこには、「陛下には何も知らせるな」と書いてあった。このように、王安石を非難するような者は、持てる知恵を絞り尽くした。また呂恵卿は、何度も宰相の韓絳と意見を争った。

そこで韓絳は隙を狙って神宗に進言し、その結果また王安石が宰相になった。王安石はクビになってから一年もたたずに復活した(1075)。辞令が届くと辞退もせず、任地の金陵(南京)からまっしぐらに上京し、七日で宮廷に入った。数ケ月の後、韓絳と呂恵卿は、相次いでクビになった。

戸馬法を施行した(1075)。

十八史略・訳注

王安石:1021-1086。
王安石

江寧府:現在の南京市。

韓絳:1005-1088。

呂惠卿:1032-1111。

參政:参知政事。副宰相。

免役出錢:wikipediaより引用。

免役法:1070年(熙寧3年)から開封周辺で試験的に運用し、1071年10月から全国的に施行。募役法とも言う。
従来の農民、主に形勢戸たちは政府の様々な雑用(職役)、州郡の倉庫管理・租税運搬・官の送迎などを課せられていたが、この負担は非常に重く、事故で損害があった場合は全てを補償せねばならず、何かと言えば官と胥吏に賄賂を求められる。一応政府からの支給はあったが必要な額はそれをはるかに超えていることが多く、これが元で破産してしまう形勢戸も少なくなかった。これを差役法と言う。
そこで職役を課す代わりにその分を貨幣(これを免役銭と呼ぶ)で収めさせ、それを使って人を雇い、職役を行わせる。また元々職役が免除されていた官戸・寺院・道観(道教の寺院)・坊郭戸(都市住民)・単丁戸(丁(働き手の男性)が一人しかいない戸)・未成丁戸(まだ丁になっていない子供しかいない戸)・女戸(女性しかいない戸)などからも助役銭と称して免役銭の半分を徴収した。

簿書:役所で、出し入れした金銭や穀物をつけておく帳簿。

手實法:国勢調査・土地所有権調査。

凡可以害安石者:ここでの「可」は、「ばかり」とよみ、「(まあ)~ぐらい」と訳す。時間・空間・数量などのおおよその範囲や程度の意を示す。

金陵:江寧府の別称。

闕:宮廷(の門の両側に立つやぐら)。
闕

戶馬法:保馬法と同様に、民間に軍馬の育成を委託する制度。漢語網より引用。

宋代官府派民戶養馬以供軍用的制度。

慶歷間試行于河北路。熙寧五年、王安石實行新法、遂行戶馬法、保馬法。《宋史·兵志十二》:“戶馬者、慶歷中嘗詔河北民戶以物力養馬、以備官買。熙寧二年、河北察訪使曾孝寬以為言、始參考行之。”宋俞文豹《吹劍錄》:“弛戶馬、保馬、寬青苗助役錢。”金亦有戶馬制。宋周煇《北轅錄》:“馬料供于民、謂之戶馬。”

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