蘇東坡、新法をおちょくる
十八史略・原文
元豐二年、知湖州蘇軾、安置黃州。先是、中丞李定言、軾自熈寧以來、怨謗君父。舒亶亦言、軾議時事。陛下發錢本、以業貧民、則曰、贏得兒童語音好、一年强半在城中。明法以課試羣吏、則曰、讀書萬卷不讀律、致君堯舜終無術。興水利、則曰、東海若知明主意、應敎斥鹵變桑田。謹鹽禁、則曰、豈是聞韶觧忘味、邇來三月食無鹽。其他觸物卽亊、無不以譏謗爲主。
十八史略・書き下し
元豊二年、知湖州の蘇軾を、黄州に安置す。是より先、中丞李定言く、軾煕寧自り以来、君父を怨み謗ると。
舒亶亦た言く、軾時の事を議る。陛下銭の本を発し、以て貧民を業にすれば、則ち曰く、児童の語音好きを贏ち得たり、一年強半城中に在ればと。
明法以て群吏に試すを課せば、則ち曰く、読書万巻律を読ま不、君を尭舜に致すに終に術無しと。
水利を興せば、則ち曰く、東海明主の意を知るが若し、応に斥鹵に教えて桑田に変ぜしむべしと。
塩の禁ぎを謹めば、則ち曰く、豈に是れ韶を聞きて味を忘るを解かんや、邇来三月食うに塩無しと。其の他物に触れ事に即き、譏り謗るを以て主と為さ不る無しと。
十八史略・現代語訳
元豊二年(1079)、湖州(浙江省)知事の蘇軾を、黄州(湖北省)に左遷した。そうなる前に、御史中丞(監察次官)の李定が神宗に言った。「蘇軾は煕寧年間(1067-1077)からこの方、陛下を怨んで悪口を言っております。」
同じく御史中丞の舒亶も言った。「蘇軾は事あるごとに朝廷の政策をこき下ろしてきました。陛下が元手をお遣わしになり、青苗銭を貧民に貸し与えて暮らしが豊かになるよう取り計らってやると、すぐに言いました。”子供の言葉が上品になったようだ。借銭の手続きやら返済の言い訳やらで、年の半分以上、親に連れられ役所のあるまちに行くおかげだ”と。
陛下が法律の知識で官吏を採用しようとなさいますと、すぐに言いました。”万巻の本は読んだが法律は読まない。陛下を尭舜のような聖王にして差し上げるのに、何の役にも立ちやしない”と。
陛下が水利事業を興すと、すぐに言いました。”さすがは偉大な東の海だ。我らが名君のお気持ちが分かっている。塩気が強い荒れた土地も、きっとすぐさま桑畑へと変身するに違いない”と。
陛下が塩の密売を厳しくお取り締まりになると、すぐに言いました。”孔子様は韶の曲を聴いて、三ヶ月食事に味を覚えなかった。我らもお触れによってこの三ケ月、食うにも塩が無いから、聖人のお気持ちがよく分かった。めでたいめでたい”と。これら以外にも政策の一々について、悪口を逞しくしなかったことがございません。」
十八史略・訳注
元豐二年:=1079。神宗の年号の一つ(1078-1085)。
湖州:現在の浙江省湖州市。
蘇軾:1037-1101。
安置:宋代、官吏に対する処刑の一種。大臣の位をさげたり、遠い地方の役人にしたりすること。
黃州:現在の湖北省黄岡市。
中丞:=御史中丞。官吏の監察を任とする御史台の次官で、長官の大夫は通常空席のため、事実上の長官。
李定:1028-1087。
熈寧:神宗の年号の一つ。1067-1077。
舒亶:音ジョ・タン。1041-1103。
業:さかん(にする)。壮・爗に通じた用法。
明法:法律の理解度を試す試験。
堯舜:伝説上の古代の聖王。
斥鹵:音セキ・ロ。塩分を多く含んでいて、農耕のできない荒地。
邇来:音ジ・ライ。近ごろ。
韶:音ショウ。孔子が聞いて感動したと言われる曲名(論語述而篇13)。