十八史略・巻六北宋:神宗(17)

永楽城の戦い

十八史略・原文

吳充罷、踰月而卒。 

元豐元年、大正官名。元豐五年、官制成。改平章事爲左右僕射、以王珪・蔡確爲之。參知政事爲門下中書侍郞、章惇・張璪爲之。置尚書左右丞、蒲宗孟・王安禮爲之。以三省統領百職。中書取旨、門下覆奏、尚書施行。珪爲相、人謂之三旨宰相。凡事惟曰取聖旨、得聖旨則曰領聖旨、退書之則曰奉聖旨而已。上厭之。確謂珪曰、上久欲取靈武。公能任責、則相位可保也。珪喜如其言。命内侍李憲等、分道伐夏國、攻靈州、不克、士卒死、及凍餒者十五六。憲上再擧之議、徐禧又議築永樂新城。夏人大擧攻城、城陷、禧等蕃漢官、及諸軍死者萬三千。上聞奏慟哭。

十八史略・書き下し

呉充罷められ、月を踰え而卒す。

元豊元年、大いに官名を正す。元豊五年、官制成る。平章事を改めて左右僕射と為し、王珪・蔡確を以て之と為す。参知政事は門下中書侍郎と為し、章惇・張璪之と為る。尚書左右丞を置きて、蒲宗孟・王安礼之と為る。

三省以百職を統領せしむ。中書旨を取り、門下覆奏し、尚書施行す。

珪相為りて、人之を三旨宰相と謂う。凡そ事は惟だ聖旨を取ると曰い、聖旨を得ば則ち聖旨をくと曰い、退きて之を書さば則ち聖旨を奉ると曰う而已。上之を厭う。

確珪に謂いて曰く、上久しく霊武を取らんと欲す。公能く責めをつとまば、則ち相の位保つ可き也と。珪喜びて其の言にしたがう。内侍李憲等に命じて、道を分けて夏国を伐ち、霊州を攻めしむるも、克た不して士卒死に、凍え餒える者十の五六に及ぶ。

憲再挙之議りを上せ、徐禧又た永楽新城を築くを議る。夏人大いに挙がりて城を攻め、城陥ちて、禧等蕃漢の官、及ぶ諸軍の死せる者万三千。上奏すをを聞きて慟き哭く。

十八史略・現代語訳

宰相の呉充がクビになり、一ヶ月が過ぎた頃世を去った(1080)。

元豊元年(三年=1080の誤り)、官職の名を大改正した。元豊五年(1082)、官制が完成した。平章事(宰相)を改めて左右僕射とし、王珪・蔡確を任じた。参知政事(副宰相)は門下中書侍郎とし、章惇・張璪を任じた。尚書左右丞を設置して、蒲宗孟・王安礼を任じた。

尚書・中書・門下の三省に全官職を統率させた。中書省が皇帝の意向を詔勅案として作り、門下省がその内容を審議し、尚書省が実行に移した。

王珪が宰相だったが、人は三旨宰相と呼んだ。そのわけは、全て仕事は何事につけ「聖旨を取る」と言い、聖旨を受け取ると「聖旨をく」と言い、退出してその経過を書き記すと「聖旨を奉る」と書くだけだったからだ。神宗は王珪を嫌った。

そこで同僚の蔡確が王珪に言った。「陛下は長らく、西夏に占領された霊州と武州を取り戻そうと考えておられる。あなたがその務めを全うできれば、宰相の地位は安泰ですよ。」王珪は喜んで、言われたとおりにした。宦官の李憲らに命じて、道を分けて軍を進めて西夏を攻撃し、霊州を攻めさせたが、勝てないで将校も兵卒も死に、凍え飢えた者は十人のうち五六人に及んだ。

敗将の李憲は再挙を上申し、給事中(宮内顧問官)の徐禧も永楽新城を築くよう提言した。すると西夏軍がどっと押し寄せて永楽新城を攻め、城は陥落して、徐禧らのほか、帰化した異民族と漢人の官吏と、駐屯していた諸軍、合わせて戦死者が一万三千出た。神宗はその知らせを聞いてわなわなと震え、大声で泣いた(1082)。

十八史略・訳注

吳充:1021-1080。

元豐元年:=1078。元豊は神宗の年号の一つ(1078-1085)。ただし元年は三年の誤り。

元豐…三年…九月…乙亥、正官名。以開府儀同三司易中書令、侍中、同平章事、特進易左、右僕射、自是以下至承務郎易秘書省校書郎、正字、將作監主簿有差、檢校僕射以下及階散憲銜並罷、詳在《職官志》。(『宋史』神宗紀)

平章事:=同中書門下平章事。宋代の宰相。複数名が任じられた。

僕射:音ボク・ヤ。唐代に宰相をこう呼んだ。

王珪:1019-1085。

蔡確:1037-1093。

參知政事:副宰相。

門下中書侍郞:門下は門下省。上奏文と詔勅を審議した。中書は中書省。詔勅を起草した。侍郎は次官に相当する。

章惇:音ショウ・トン。1035-1105。

張璪:?-1093。

尚書左右丞:尚書は尚書省。詔勅の実施に当たった。丞もまた次官に相当する。

蒲宗孟:1022-1088。

王安禮:1034-1095

三省:尚書省・中書省・門下省を指す。

靈武:霊州(現在の寧夏回族自治区銀川市)と武州(現在の寧夏回族自治区固原城原州区)。
華北地図

李憲:生没年未詳。

夏國:=西夏(1038-1227)。
北宋地図

徐禧:1035-1082。

永樂新城:場所の候補は三つある。一、現在の陝西省咸陽市ケイ陽県新城区永楽鎮。二、陝西省楡林市米脂県西北。三、寧夏回族自治区内。

蕃漢官:帰化した異民族と漢民族の官吏。

慟哭:慟は”わなわなと震える”、哭は”声を挙げて泣く”。この戦いを永楽城の戦いという。

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