十八史略・巻七北宋:哲宗(2)

新法、続々と廃止さる

十八史略・原文

神宗崩、太子卽位。甫十歲。太皇太后同聽政。凞寧中、太后已嘗流涕爲神宗言、安石變法不便。旣垂簾知天下厭苦日久、首罷東京戶馬。罷京東西路保馬、罷京東西物貨場、罷諸州鎭寨市易抵當、罷汴河堤岸司地課・放市易・常平免役息錢、罷在京免行錢、罷提擧・保甲・錢粮・巡敎等官、罷方田等。皆從中出、大臣不與。

十八史略・書き下し

神宗崩じ、太子位に即く。はじめて十歳なり。太皇太后同じく政を聴く。

凞寧中、太后已に嘗て涕を流して神宗の為に言く、安石の変法は便なら不と。既に簾を垂れて天下厭い苦むの日久しきを知り、首に東京の戸馬を罷む。京東西路の保馬を罷め、京東西の物貨場を罷め、諸州鎮寨の市易の抵当を罷め、汴河堤岸司の地課、放てる市易・常平免役息銭を罷め、京に在る免行銭を罷め、提挙・保甲・銭粮・巡教等官を罷め、方田等を罷む。皆な中従り出で、大臣与ら不。

十八史略・現代語訳

神宗が崩御して、太子が位に即いた(1085)。やっと十歳になったばかりだった。太皇太后が共に政治を決済した。

煕寧年間(1068-1077)に、太后はすでに涙を流しながら神宗のために言った。「王安石の変法は行き詰まっている。」そして今、現に玉座の後ろに御簾を垂らして席を設け、政治の決済に当たって新法による天下の苦痛の日々が長く続いたのを知り、始めに首都開封の戸馬法(軍馬飼育民間委託制度)をやめた。

それから京東路・京西路の保馬法(軍馬飼育民間委託制度)をやめ、同地域の国営商店を廃止し、諸州にある国境警備要塞での市易法(国営倉庫・流通業)に関わる抵当を廃止し、黄河と開封を結ぶ汴河の堤岸司(管理役所)が課す土地税と、廃止した市易・常平(非常備蓄倉庫)に関わる負担免除銭の利息を廃止し、首都開封の免行銭(商業税)を廃止し、保甲(民兵)・銭粮(物価管理)・巡教(教育)などを掌る提挙(監督官)を廃止し、方田(検地)などをやめた。こうした廃止令は全て帝室から発布され、大臣は関わらなかった。

十八史略・原文

神宗:1048-1085。宋の第七代皇帝。
宋神宗

太皇太后:=宣仁皇后。英宗の皇后で高氏。1032-1093。
宣仁皇后

凞寧:=煕寧。神宗前半の年号。1068-1077。凞は煕の異体字、または俗字とされる。

王安石:1021-1086。
王安石

不便:林本は”民に便利でない”と訳すが、賛成しがたい。「便」は『学研漢和大字典』に以下のように言う。

丙は、尻を開いて両股をぴんと両側に張ったさまを描いた象形文字。更(コウ)は「丙+攴(動詞の記号)」の会意文字で、ぴんと張るの意を含む。便は「人+更」の会意文字で、かたく張った状態を人が平易にならすことをあらわす。かど張らないこと、平らに通ってさわりがないの意を含む。

便
以上から、不便とは端的に言えばお通じが悪いように、”通りが悪い・すらすらいかない”ことであり、”行き詰まっていること”で、便利という意味ではない。

東京:首都である東京開封府。現在の河南省開封市。ただし林本は”東都大梁”と訳している。

戶馬:=戸馬法。1075年に施行され、保馬法と同じく軍馬の育成を民間に委託した。

京東西路:京東路京西路。おのおの宋代、全国を十五の路=監察区に分けた一つ。

保馬:=保馬法。1072年施行、軍馬飼育の民間委託制度。

京東西:林本は”都の東西にある”と訳すが、京東路・京西路だろう。

物貨場:林本に”官立の諸品売捌所”とあるのに従った。

鎭寨:国境警備の関所やとりで。

市易:=市易法。1072年施行。国営の倉庫・流通業。

抵當:現代語の抵当に同じ。借金をするときに、返済の保証として相手に一時的に所有権・使用権を譲る、金額相当の物。かた。担保。

汴河:音ベン・ガ。河南省北部にあった河の名。中国の南北を貫く大運河の一部で、黄河と宋の首都開封を繋いでいた。このことから開封を汴京とも呼ぶ。

堤岸司:1079年設置。洛水を汴河とを結ぶため設置された。

地課:土地税。

常平:=常平法。飢饉に備えた穀物の備蓄。

免役息錢:免役=公的に課された義務の免除の代わりに納付する銭の利息。

免行錢:商人に課された免役銭の一種。事実上の商業税。

提擧:新法実行の監督官。

保甲:民兵制度。1070施行。

錢粮・巡敎:語義を明らかにしがたいが、銭粮は貨幣と穀物、巡教は教育を意味するのだろう。

方田:検地。1072年施行。

十八史略・付記

神宗没後、新旧両党が抗争を繰り返すことになる。この政争を、哲宗の年号を取って元祐の更化という。

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