十八史略・巻七北宋:哲宗(4)

北宋の大儒・周敦頤

十八史略・原文

河南程顥以是歲卒。顥字伯淳、弟頤字正叔。兄弟皆從濂溪周惇頤受學。惇頤字茂叔、博學力行、聞道早、遇事剛果、有古人風。爲政嚴恕、務盡理、以名節自礪。雅有高趣、牕前草不除、曰、與自家意志一般。黃庭堅稱、其人品甚高、胸中灑落、如光風霽月。有太極圖・通書、行于世。

十八史略・書き下し

河南の程顥、是の歳を以て卒す。顥字は伯淳、弟は頤、字は正叔。

兄弟皆なレン渓の周敦頤に従いて学を受く。敦頤字は茂叔、学に博くして行いに力め、道を聞くこと早く、事に遇わば剛く果なり、古人の風有り。

政を為すに厳しくして恕なり、理を尽くすに務め、名節を以て自ら礪く。雅にして高き趣き有り、牕前の草を除け不して、曰く、自が家の意志与さまを一にすと。

黄庭堅たたうらく、其の人品甚だ高く、胸中灑落なること、光風霽月の如しと。太極図・通書有り、世于行わる。

十八史略・現代語訳

洛陽の近くに住まった程コウが、哲宗が即位したこの年(1085)に世を去った。顥のあざ名は伯淳、弟はで、そのあざ名は正叔と言った。

兄弟はともにレン渓に住んだ周敦頤に弟子入りして学問を授かった。敦頤のあざ名は茂叔、知識が豊富で行動には努力家で、若くして真理を悟り、出来事に出くわすと決断力があって、昔の人を思わせる性格だった。

行政に当たっては厳格であると同時に思いやりがあり、道理に従うように努力し、名誉と節操を重んじることで自分の人格を磨いた。その行動はみやびで、高潔な趣味を持ち、書斎の前の草を刈り取らずにこう言った。「私の思いと一致しているからだ。」

黄庭堅が周敦頤を讃えて言った。「人柄がたいそう高潔で、胸の内の思いはさっぱりとしてすがすがしく、まるで晴れの日の風や、澄み切った月のようだ。」著書に『太極図』と『通書』があり、世間に広まった。

十八史略・原文

河南:洛陽周辺の地。

程顥:音テイ・コウ。=程明道。程伊川の兄。1032-1085。
程顥

是歲:哲宗即位の年、1085。

頤:音イ。程頤=程伊川。1033-1107。
程頤

濂溪:音レン・ケイ。湖南省にある渓谷。

周惇頤:=周敦頤。1017-1073。
周惇頤 周敦頤

黃庭堅:1045-1105。
黄庭堅

太極圖:=『太極図』。wikipediaより引用。

太極図『易経』繋辞上伝にある「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず(易有太極、是生兩儀、兩儀生四象、四象生八卦)」の概念、および陰陽思想、五行思想を関係づけて解説し、創案した図象を提示した。図を説明する文章自体は短く約250字程度。図によれば、「太極」が森羅万象の根源であり、陰陽と五行の錯綜によって万物が生成されていくとされる。

通書:wikipediaより引用。

『通書』は、『太極図説』を踏まえて道徳などについて述べたものである。周敦頤は、「太極」を儒学の重要経典『中庸』の中で示される「誠」と結びつけた。人の根本に「誠」がある状態とは、人の根本に「太極」がある状態であると定める。

しかし、人の根本に「誠」があったとしても、日々の生活の中で周囲の状況を適切に判断できなければ、誤った行動をとる可能性もある。従って、人がささいな兆しを前にしてその後に生じる展開を正しく予測・判断し、適切な善い行動をとるためには、学問を通じて自己を研鑽する必要がある。そして、こうした行いが聖人の道へと通じると説いた。

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