十八史略・巻七北宋:哲宗(5)

北宋の大儒・程明道

十八史略・原文

顥・頤初從之、首令尋仲尼・顏子所樂何事。學成、各以斯文爲己任。顥嘗言、一命以上、苟存心於愛物、於人必有所濟。熈寧中、以新法不合去國。神宗嘗使推擇人才、所薦數十人。以表叔張載・弟頥爲首。其死也、文彥博采衆論、表其墓曰明道先生。

十八史略・書き下し

顥・頤初め之に従うや、はじめに仲尼・顔子の楽しむ所は何事ぞやと尋ね令む。学成るや、各の斯文を以て己が任めと為す。顥嘗て言く、一命以上、苟も心物を愛する於存らば、人於必ず済う所有らんと。

煕寧中、新法を以て合わ不して国を去る。神宗嘗て人才を推め択ば使むるに、薦むる所数十人なり。表叔の張載・弟の頤を以て首と為す。其の死する也、文彥博衆論を采りて、其の墓に表かきて曰く、明道先生と。

十八史略・現代語訳

コウと程は、周敦頤に学び始めた当初、まず孔子と顔回が楽しんだ楽しみとは何か、考えさせられた。学業を学び終えると、それぞれが儒学を一生の主題とするようになった。程顥はかつて言ったことがある。「官吏たる者、もしも物を愛することに心掛けたなら、必ず人の助けになるだろう。」

程顥は神宗の煕寧年間(1068-1077)に、王安石の新法について意見が合わなかったので、官職を辞めた。それより以前、神宗が人材を推薦させた所、数十人を選び取って言上した。その中では母方の叔父の張載と、弟の程頤を第一番に挙げた。程顥が死ぬと(1085)、文彦博は大勢から意見を聞いて、程顥の墓に「明道先生」と書き記した。

十八史略・訳注

顥:音コウ。=程顥(明道)。1032-1085。
程顥 程顥

頤:音イ。=程頤(伊川)。1033-1107。
程頤

之:=周敦頤。1017-1073。
周惇頤 周敦頤

仲尼:孔子(BC551–BC579)のあざ名。

顏子:孔子の弟子、顔回(BC521-BC481)の敬称。

仲尼・顏子所樂:論語述而篇15「楽しみその中に在り」と、論語雍也篇11「回やその楽しみを改めず」を指すと林本に言う。

斯文:音シ・ブン。孔子の伝えた聖人君子の学問のこと。儒学。

一命:周代の官吏の職階制で、はじめて任命されること。一命から九命までの階級があった。

熈寧:神宗の治世前半の年号。1068-1077。

神宗:宋の第六代皇帝。1048-1085。
宋神宗

表叔:母方の叔父。「表」は、外戚の意。《対語》表伯父。

張載:1020-1077。
張載

頥:音イ。=程頤。

文彥博:1005-1096。
文彦博

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