十八史略・巻七北宋:哲宗(10)

新法、ほぼ廃止さる

十八史略・原文

或謂光曰、章惇・呂惠卿輩、他日有以父子之議聞於上、則朋黨之禍作矣。光起立拱手、厲聲曰、天若祚宋、必無此事。安石每聞朝廷變其法、夷然不以爲意。及聞罷助役復差役、愕然失聲曰、亦罷至此乎。良久曰、此法終不可罷。安石與先帝議之、二年乃行。無不曲盡。

十八史略・書き下し

或もの光に謂いて曰く、章惇・呂恵卿の輩、他日父子之議を以て上於聞かす有らば、則ち朋党之禍をおこす矣んと。光起立して手を拱き、声を厲して曰く、天若し宋にさいわいせば、必ず此の事無からんと。

安石朝廷の其の法を変うるを聞く毎に、夷然として以て意と為さ不。助役を罷め差役を復すと聞くに及び、愕然として声を失いて曰く、亦た罷めて此に至る乎と。良久しくして曰く、此の法終に罷む可から不と。安石先帝与之を議り、二年にして乃ち行えり。つぶさに尽くさ不る無し。

十八史略・現代語訳

ある人が司馬光に言った。「章トン・呂恵卿らが、論語の言葉、”孝行者は父の死後三年間、その方針を変えないものだ”を持ち出して、皇帝陛下に新法廃止の建議を申し上げたら、必ずや派閥抗争が起きるでしょう。」聞いた司馬光は立ち上がり、手をこまねいて姿勢を正し、厳しい口調で言った。「もし天が我が宋朝にお味方下さるなら、そんなことは絶対に怒りはしない。」

王安石は都を離れた金陵(南京)にいたが、朝廷が自分の立てた新法を一つずつ廃止したと聞くたびに、平然として気にも留めなかった。しかし助役法(商業税)を廃止して差役法(労役)を復活させると聞くと、愕然として言葉を失ったあとで言った。

「新法の廃止がとうとうそこまで来たか。」しばらくして再び言った。「この法だけは、廃止してはならない。」王安石は先帝の神宗と助役法を相談し、二年の時を掛けて検討してから施行した。だから隅々まで考え抜いた法令だったのである。

十八史略・訳注

光:=司馬光。1019-1086。
司馬光

章惇:音ショウ・トン。1035-1105。

呂惠卿:1032-1111。

父子之議:論語学而篇11に言う、”父の死後三年間、方針を変えずに受け継ぐ者なら、孝行者と言って良い”という教訓。

夷然:落ち着いていて平気なさま。物に動じないさま。

助役:=助役法。それまで比較的裕福な民に課していた労役(差役)が重いので、免役銭を取る代わりに労働力を政府で雇用したが、さらにそれまで差役を免除されていた官戸(官僚の世帯)・寺院・道観・坊郭戸(都市住民)・単丁戸(男の単身世帯)・未成丁戸(未成年だけの世帯)・女戸(女性だけの世帯)からも、免役銭の半額を助役銭として徴収した。事実上の増税になった。

失聲:解釈は三つある。1.なきすぎて声が出なくなること。2.声をたてることができない。3.《俗語》思わず声をたてる。

良久:「ややひさし」とよみ、「しばらく」と訳す。時間が経過する意を示す。

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