十八史略・巻七北宋:徽宗(6)

徽宗、奢侈を極める

十八史略・原文

京子攸之婦、出入宮禁。攸遂大用、至父子權勢自相軋。上寵攸而尊京子弟親戚。滿朝皆其父子之黨。京倡邪說、以爲當豐享豫大之運。專以奢侈勸上、窮極土木之功、廣京城、修大内、盛築内苑、鑄九鼎。鼎成。以九州水土納鼎中。及奉安北方寶鼎、忽水漏于外。作大晟樂。

十八史略・書き下し

京の子の攸之婦、宮禁に出入りす。攸遂に大いに用いられ、父子の権勢自ら相い軋むに至る。上攸をで而京の子弟親戚を尊くす。朝に満つるは皆な其の父子之党なり。

京邪説を倡え、以て当に豊享予大之運なるべしと為す。専ら奢侈を以て上に勧め、土木之功を窮め極め、京城を広げ、大内を修め、盛んに内苑を築き、九鼎を鋳る。

鼎成る。九州の水土を以て鼎の中にむ。北方の宝鼎を奉り安んじるに及ぶや、忽ち水外于漏る。大晟楽を作る。

十八史略・現代語訳

蔡京の子の攸の夫人(宋氏)が、宮中に出入りした。攸はトントン拍子に出世して、父子の権勢は勢い、互いにぶつかるようになった。徽宗は蔡攸を寵愛して蔡京の子や弟、親戚の官位を引き上げた。朝廷の臣下は誰もが蔡父子の与党になった。

ここで蔡京がインチキを唱えだした。いわく、当時は易にいう豊享予大の運勢にあり、まことにめでたく全てがうまく行くと。そしてひたすら徽宗に贅沢を勧め、土木工事を極限まで起こし、首都開封を拡張し、宮殿を修築し、派手に御苑を造成し、(聖天子の禹の真似をして)九つの鼎を鋳た。

鼎が出来上がった。そこで中国全土九つの州の水と土を、九鼎それぞれに納めた。ところが北方の宝鼎をお祭りして据えた所、注ぐそばから水が漏れた。(他には)孔子を祭る大晟楽を作った。

十八史略・訳注

京:=蔡京。1047-1126。
蔡京

攸:=蔡攸。1077-1126。即位前から徽宗と親しく、即位後は蔡攸を近侍させるため、特に宣和殿学士の官職が新設されて任じられた。

遂:「ついに」とよみ、「そのまま」と訳す。前から後ろへすんなり状況がつながる意を示す。

上=徽宗皇帝:1082-1126。宋第八代皇帝。位1100-1126。
徽宗

豐享豫大之運:林本には次のようにいう。

「豊」と「予」はいずれも周易の卦の名で、「豊」は豊盛、「予」は予楽の義。易の豊の卦に「豊はとおる、王之にいたる」とあるから豊享といい、予の卦に「予の時と義とは大なる哉」とあるから予大という。「運」は時運。時世のまわり合わせ。

九鼎:中国史のタテマエでは、聖天子の禹は九鼎を鋳たことになっており、それを真似したもの。

九州:中国史のタテマエでは、聖天子の禹が中国全土を九州に分けたことになっている。

北方寶鼎:九鼎のうち、北方に相当する鼎を宝鼎というと林本にいう。

大晟樂:孔子の祭殿を大成殿といい、そこで奏でる音楽。

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