十八史略・巻七北宋:徽宗(7)

徽宗、生臭道士に騙される

十八史略・原文

作玉淸神霄宮、崇信道士林靈素。策上爲敎主道君皇帝、作延福宮、作保和殿、作萬歲山。以朱勔領花石綱、奇花異木怪石珍禽奇獸、無遠不致。民閒一花一木之妙、輙令上供。有一花費數千緡、一石費數萬緡者。二十年閒、山林高深、麋鹿成羣。改名艮嶽。又爲村居野店酒肆靑帘於其閒、每歲冬至後、卽放燈縱令飮博。謂之先賞元宵。

十八史略・書き下し

玉清神霄宮を作り、道士林霊素を崇め信ず。上を策して教主道君皇帝と為し、延福宮を作り、保和殿を作り、万歳山を作る。

メンを以て花石綱を領らしめ、奇花異木怪石珍禽奇獣は、遠しとして致さ不る無し。民間の一花一木之妙、輒ち令して上供せしむ。一花の数千緡を費し、一石の数万緡を費す者有り。

二十年間、山林高く深くして、麋鹿群を成す。名を艮岳と改む。又た村居野店酒肆青帘を其の間於為り、毎歳冬至の後、即ち灯を放ちて縦に令して飲み博たしむ。之を先づ元宵を賞づと謂う。

十八史略・現代語訳

(徽宗誕生の地を)改築して玉清神霄宮を作り、道士の林霊素を崇めて信仰した。徽宗に名を奉って教主道君皇帝と呼び、延福宮を作り、保和殿を作り、万歳山を作った。

メンに命じて(全国から珍しいものを取り寄せる)花石綱を監督させ、奇花異木怪石珍禽奇獣は、遠いからと言って取り寄せない、ということすらなかった。民間で見つかった、わずか花一房木一本の珍品だろうと、その都度政令を下して献上させた。その一花に銭数千さし、一石に数万さしを費やすことがあった。

造成から二十年、万歳山の林は高く深くなって、おお鹿や小鹿が群れを作った。そこで万歳山の名を艮岳と改めた。さらに山あいには農家や露店や居酒屋やその看板である青い帘を建て、毎年冬至が過ぎると、必ず灯火を灯して(人々に開放し)、好き勝手に飲ませ、また博打を打たせた。これを”初の十五夜を愛でる”と呼んだ。

十八史略・訳注

玉淸神霄宮:林本に以下のようにいう。

はじめは玉情和陽宮といった。即ち福寧殿のことで、帝の誕生した場所である。後に玉清神霄宮と改名した。

林靈素:1076?-1120?。以下wikipediaより引用。

林霊素が徽宗皇帝に取り入ったのは、皇帝自身が道教神であり、さらに水滸伝でお馴染みの蔡京や童貫・側室なども天の官吏であるという説を説いたことによる。

保和殿:徽宗の執務宮殿。もと宣和殿といい、その大学士に蔡京の子である蔡攸が任じられていたが、宣和元年(1119年)、宣和殿は元号と被ると言う理由で保和殿に改称された。

朱勔:音シュ・メン。1075-1126。

花石綱:wikipediaより引用。

中国の北宋末期、第8代皇帝徽宗が庭園を造るために調達させた珍花・名木・奇石などのこと。あるいは、それを運ぶ船団のこと。なお、綱とは貨物を指す言葉である。

緡:ひもを通した銭のたばを数える単位。

元宵:陰暦一月十五日の夜。上元の夜。

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