十八史略・巻七北宋:徽宗(9)

女真の阿骨打、遼にそむく

十八史略・原文

女眞阿骨打、以重和元年戊戌稱帝。初遼主天祚、刑賞僭濫、荒於禽色、歲索名鷹海東靑於女眞。女眞與其隣東北五國戰鬪、乃能獲此禽以獻、不勝其擾。阿骨打遂叛、攻陷混同江東之寧江州。遼遣將討之而敗。又起中京・上京・長春・西遼、四路兵竝進。獨淶流河一路、深入大敗。三路皆退。女眞悉虜遼東界熟女眞、鐵騎益衆。天祚親征復大敗。女眞乘勝、幷渤海・遼陽五十四州、又度遼西降五州。阿骨打遂建號、改名旻、國號大金。明年破遼上京。

十八史略・書き下し

女真の阿骨打、重和元年戊戌を以て帝を称う。初め遼主の天祚、刑賞は僭濫みだれ、禽色於荒み、歳ごとに名鷹の海東青を女真於索む。女真与其の隣なる東北五国戦い闘い、乃ち能く此の禽を獲て以て献ぐも、其の擾いに勝え不。阿骨打遂に叛き、混同江東之寧江州を攻め陥す。遼将を遣りて之を討たしめ而敗れる。又た中京・上京・長春・西遼、四路の兵を起して並び進ましむ。独り涞流河一路、深く入りて大いに敗れる。三路皆な退く。女真悉く遼東界の熟女真を虜とし、鉄騎益す衆し。天祚親しく征きて復た大いに敗れる。女真勝に乗り、渤海・遼陽五十四州を併せ、又た遼西に度りて五州を降す。阿骨打遂に号いを建て、名を旻と改め、国は大金と号う。明年遼の上京を破る。

十八史略・現代語訳

女真の阿骨打が、重和元年(1118、1115の誤り)の戊戌の日に帝と名乗った。その以前から遼の天祚帝は、刑罰や恩賞がでたらめで、狩りと色事にふけり、毎年名鷹のシロハヤブサを女真に貢がせていた。女真は東北に隣り合う五カ国と戦って鷹を得、献上していたが、その負担に耐えきれなくなった。

そこで阿骨打がとうとう反乱を起こし、松花江の東、寧江州(吉林省)を攻め落とした。遼は将軍を派遣して討伐させたが、敗れてしまった。そこでふたたび中京・上京・長春・西遼、合計四路の兵を動員して女真めがけて並進させたが、涞流河一路の兵だけが、深入りして大敗北を喫してしまった。そこで残り三路の兵は全て退却した。

女真は遼河東岸に住む、中国化した女真人を全て配下に取り込んだので、その鉄騎隊は一層多くなった。遼の天祚帝は親征したが、まともや大敗してしまった。女真が勝に乗じて、渤海・遼陽の五十四州を併合し、さらに遼河西岸に渡って五州を落とした。その結果阿骨打は帝を自称し、名を旻と改め、国を大金と呼んだ。さらに明年は、遼の首都上京(内蒙古)を陥落させた。

十八史略・訳注

女眞:=ジュルチン。満洲人とも。1115年に金を建国して遼から独立した。
北宋地図

阿骨打:=完顔阿骨打。音ワン・ヤン・ア・ク・ダ。完顔が部族名で名が阿骨打。1068-1123。金の太祖。位1115-1123。
完顔阿骨打

重和:徽宗の年号の一つ。1118-1119。

重和元年戊戌:政和五年(1115)乙未の誤りと林本は言う。

:契丹族の王朝。916-1125。

天祚:遼の第九代、最後の君主。1075-1125。位1101-1125。

僭濫:犯し乱す、違い誤る、と大漢和辞典に語釈がある。

禽色:狩猟と色事。

海東靑:=シロハヤブサ
シロハヤブサ

混同江:=松花江
松花江

寧江州:現在の吉林省。

中京・上京・長春・西遼:中京(現在の内モンゴル自治区赤峰市寧城県)・上京(現在の内モンゴル自治区巴林左旗南波羅城)は遼の五京に属し、上京は遼の首都。長春は現在の吉林省農安県の北に設置された県。西遼はカラキタイではなく、遼の一地方。

淶流河:現在のどの河か比定しがたい。

熟女眞:女真族の内、中国との交流が頻繁で、中国文化の受容度が高い氏族。

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