十八史略・巻七北宋:徽宗(10)

高麗、宋に女真への警告を発す

十八史略・原文

高麗來求毉。上遣二毉往。還奏、實非求毉。乃彼知中國將與女眞圖契丹、謂、苟存契丹、猶足爲中國捍邊。女眞狼虎。不可交。宜早爲之備。上聞之不樂。 

上嘗微行都市酒肆妓舘。正字曹輔上言、編管彬州。 

童貫自崇寧閒、與王韶之子、領兵復湟州、任責措置邊事。已而復鄯州・廓州。貫遂建節爲宣撫。旣得志於西邊、遂謂北邊亦可圖。

十八史略・書き下し

高麗来りて医を求む。上二医を遣りて往かしむ。還りて奏すらく、実は医を求むるに非ず。乃ち彼れ中国の将に女真与契丹を図らんとするを知り、謂う、苟し契丹を存さば、猶お中国の辺を捍ぐを為すに足らん。女真狼虎なり。交る可から不。宜く早に之が備えを為すべしと。上之を聞きて楽ま不。

上嘗て都市の酒肆妓館に微行す。正字曹輔上言し、彬州に編管せらる。

童貫崇寧の間自り、王韶之子与、兵をしたがえて湟州を復し、置辺の事を措くの責につとむ。已にし而鄯州・廓州を復す。貫遂に節を建てて宣撫と為る。既に志を西辺於得て、遂に謂く、北辺亦た図る可しと。

十八史略・書き下し

高麗から使いが来て医者を求めた。徽宗は医者二人を行かせた。彼らが帰ってきて奏上した。「実は医者を求めていたのではありませんでした。事実は、宋が女真と結んで契丹を攻め滅ぼそうとしているのを知って、こう言いました。”もし契丹を存続させれば、宋の国境を守る事は可能でしょう。しかし女真は狼や虎のようなけだものです。付き合ってはいけません。それより女真に対して、いち早く備えを固めるべきです”。」徽宗はこの話を聞いて不機嫌になった。

徽宗は以前、こっそりとまちの居酒屋や女郎屋に出入りしたことがある。正字(校正官)の曹輔がそれをとがめる上奏をしたので、彬州に流して移住を禁止した。

童貫は崇寧年間(1102-1106)より、王韶の子と共に兵を率いて湟州を回復し、辺境の防備や拡張に当たっていた。その結果鄯州・廓州(青海省)が宋の領域に戻った。童貫は図に乗って、徽宗から独裁権を委譲された印の旗印を受け取り、宣撫(辺境総督)となった。すでに西方でうまく行ったので、とうとうこう高言するようになった。「北方も思い通りに出来るぞ。」

十八史略・訳注

高麗:朝鮮半島の統一国家。918-1392。
北宋地図

毉:林本は”醫に同じ”で済ませているが、語源的には異なる。

会意。上部は、医(エイ)に殳印を加えて、しまいこみ隠す動作を示す。醫はそれと酉(さけつぼ)を合わせた字で、酒つぼに薬草を封じこみ、薬酒をかもすことを示す。医者はもと、みこ(巫(フ))と同じ仕事だったので、醫の酉を巫に代えた異体字もある。医(エイ)と醫は、もと別字だが、今は医を醫の略字として用いる。▽秦(シン)・漢以後、針と艾(モグサ)の熱を利用する針灸(シンキュウ)と、草根木皮の成分を利用する本草療法とにわかれた。また、漢方医を中医、西洋の医術を用いる医者を西医とという。(『学研漢和大字典』)

一方『字通』によると、殹は呪医が矢で病気を祓うときに叫ぶ声「や」であり、治す技術として占いが主であれば毉であるし、内服薬が主であれば醫となる道理。

上=徽宗皇帝:1082-1126。宋第八代皇帝。位1100-1126。
徽宗

女眞:=ジュルチン。満洲人とも。1115年に金を建国して遼から独立した。

契丹:=。916-1125。

正字:書籍の文字校正に当たる官職。

曹輔:1068-1127。

編管:流刑の一種。居住地を指定される無期刑。

彬州:現在のどことは比定しがたい。

童貫:?-1126。宦官でありながら軍人を兼ね、約二十年間軍権を掌握した。

崇寧:1102-1106。徽宗の年号の一つ。

王韶:1030-1081。
王韶

湟州:現在の青海省楽都県の南。

鄯州・廓州:共に現在の青海省。

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