十八史略・巻七北宋:徽宗(12)

遼挟撃前の外交交渉

十八史略・原文

及呼慶復與金使來、時阿骨打在上京。遂遣良嗣往、約金國取遼中京、本朝取燕京。歲幣如與遼之數。良嗣曰、燕京一帶、則倂西京是也。金主亦許之、以札付良嗣。期以女眞兵自平地松林趨古北、南兵自白溝夾攻。良嗣歸。馬政復與子擴持國書往、訂彼此兵不得過關。未幾、金使復來。又以國書就付其使歸國。

十八史略・書き下し

呼慶復た金使与来たるに及び、時に阿骨打上京に在り。遂に良嗣を遣わして往かしめ、金国の遼の中京を取り、本朝の燕京を取り、歳幣は遼に与うる之数の如きを約す。

良嗣曰く、燕京一帯は、則ち西京を併すが是しき也と。金主亦た之を許し、札を以て良嗣にあたう。ちぎるに女真の兵の平地松林自り古北に趨り、南兵の白溝自り夾み攻むるを以う。良嗣帰る。馬政復た子拡与国書を持ちて往き、彼此の兵関を過ぐるを得不るをただす。未幾ならずして、金使復た来る。又た国書を以て其の使いに就き付え、国に帰らしむ。

十八史略・現代語役

呼慶がふたたび金の使いと共に戻ってきたが、この時阿骨打は遼の首都、上京にいた。この事態を受けて、趙良嗣を使いとして金に行かせ、金が遼の中京を取り、宋が燕京を取ること、歳幣は遼に与えているのと同じ量とすることを取り決めた。

交渉の席で趙良嗣が言った。「ここで言う燕京には、西京を合わせるのが正しい。」阿骨打はそれを受け入れ、契約書を趙良嗣に与えた。その約束では、女真兵は平地松林から古北口に進撃し、宋軍は(宋・遼国境の)白溝河から挟撃することになっていた。

以上をとりまとめて趙良嗣が帰国した。馬政がふたたび子の拡と一緒に国書を持って金に行き、互いの軍隊が関所を越えないことを取り決めた。その後すぐに金の使いがまた来たので、また国書をその使いに与えて金国に帰らせた。

十八史略・訳注

呼慶:詳細不明。

:1115-1234。
北宋地図

阿骨打:=完顔阿骨打。音ワン・ヤン・ア・ク・ダ。完顔が部族名で名が阿骨打。1068-1123。金の太祖。位1115-1123。
完顔阿骨打

上京:=上京臨潢府。遼の都。現在の内モンゴル自治区赤峰市バイリン左旗南波羅城。但し林本は現在の遼陽、遼の東京遼陽府だという。仮にのちの金の首都、上京会寧府だとすると、現在の黒竜江省ハルピン市に相当する。

良嗣:=馬植。?-1126。遼の高官だったが宋に寝返った。

:契丹族の王朝。916-1125。
北宋地図

中京:=中京大定府。現在の内モンゴル自治区赤峰市寧城県。

燕京:=南京析津府。現在の北京市。

西京:=西京大同府。現在の大同市。

平地松林:林本によると、内モンゴル域内にあると言う。

古北:林本によると、古北口と同義で、河北省順天府内の関所だという。

白溝:林本によると、白溝河と同義で、河北省保安府付近であり、巨馬河ともいい、遼と宋の境界だったという。

馬政:林本によると、武義大夫の官にあったという。

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