十八史略・巻七北宋:徽宗(13)

金軍、遼河を渡る

十八史略・原文

時淮南・京西・河北・江南、相繼盜起。山東宋江、方就招安。睦寇方臘、連陷浙郡。中都爲震。童貫甫平方臘、而北事作矣。金人悉師度遼、趨中京攻陷之。中京者故奚國也。遂引兵至松亭關、以與宋有各不過關之約止、引兵由其西而過。遼主先已引避。或言、金前鋒將至。遼主震驚、亟奔雲中、入夾山。

十八史略・書き下し

時に淮南・京西・河北・江南、相い継ぎて盗起る。山東の宋江、方に招安に就かんとす。睦のあだ方臘、連ねて浙郡を陥す。中都為に震う。童貫はじめて方臘を平ぎ、し而北の事さるる矣。金人師を悉して遼を度り、中京に趨りて之を攻め陥す。中京者故の奚国也。遂に兵を引きて松亭関に至り、宋与各の関を過ぎ不る之約有るを以て止まり、兵を引きて其の西を由り而過ぐ。遼主先に已に引き避る。或言く、金の前鋒将に至らんとすと。遼主震え驚きて、亟に雲中に奔り、夾山に入る。

十八史略・書き下し

(金と密約した)その時(1120)、淮南・京西・河北・江南では、相い次いで一揆のたぐいが起こった。山東の(一揆軍首領である)宋江は、丁度懐柔に応じて降服しようとしていた。睦州(浙江省)の反乱軍の統領である方臘が、次々と浙江の各地を攻め落としたので、首都開封の人々は不安に震えた。

(軍権を握っていた宦官の)童貫は、(遼攻撃軍の一部を割いて)やっとのことで方臘を鎮圧し(宣和三年、1121)、それから遼の攻撃に取りかかった。金国人はその軍勢をこぞって遼河を渡り、遼の中京(内蒙古)に押し寄せて攻め落とした。中京は昔の奚国である。

攻め落とした後で金は軍を進めて松亭関(河北省)に至り、宋との間の密約、つまり互いに関所を越えないという約を守って軍を止め、転進して松亭関の西を通り過ぎた。遼の君主の天祚帝は、すでに逃亡していた。ある者が「金の先鋒がすぐに押し寄せます」と言うと、天祚帝は震え驚いて、即座に雲中郡(内蒙古)に走り逃げ、夾山に入った。

十八史略・訳注

淮南:=淮南路。淮水の南側。
華南地図

京西・河北・江南:=京西路河北路江南路

山東:正確には比定しがたいが、宋の領土のうち太行山脈以東=黄河下流域と山東半島と思われる。
華北地図

宋江:水滸伝の主人公として有名。

睦:=睦州。現在の浙江省杭州市南部。

方臘:マニ教徒による反乱の首領。

浙郡:現在の浙江省。

中都:首都開封。別名大梁。

童貫:?-1126。宦官でありながら軍人を兼ね、約二十年間軍権を掌握した。

:1115-1234。
北宋地図

遼:=遼河

中京:遼の中京大定府。現在の内モンゴル自治区赤峰市寧城県。

松亭關:林本によると、景州(河北省)北方の関所という。

遼主:=天祚帝。遼の第九代、最後の君主。1075-1125。位1101-1125。

雲中:=雲中郡(内モンゴル自治区)。

夾山:林本によると、雲内州(ウラトク部西北)にあるという。

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