十八史略・巻七北宋:徽宗(16)

天変地異起こる

十八史略・原文

修神保觀。其神都人素畏之、傾城男女負土以獻、名曰獻土。又有飾作鬼使、催納土者。上亦微服觀之、後數日旨禁。 

京師・河東・陝西、地震。宮中殿門、搖動且有聲。蘭州草木沒入、山下麥苗、乃在山上。 

金國無城郭・宮室。用契丹舊禮、如結綵山作倡樂、鬪雞・擊鞠之戲、與中國同。但於衆樂後、飾舞女數人、兩手持鏡、類電母。其國茫然。皆茇舍以居。至是方營大屋數千閒、盡倣中國所爲。

十八史略・書き下し

神保観を修む。其の神都人素より之を畏れ、城を傾けて男女土を負いて以て献げ、名づけて曰く献土と。又た飾りて鬼の使いを作り、土を納めるを催す者有り。上亦た微服して之を観、後数日して旨により禁ず。

京師・河東・陝西、地震う。宮中の殿門、揺動き且つ声有り。蘭州の草木没み入り、山下の麦苗、乃ち山上に在り。

金国城郭・宮室無し。契丹の旧礼を用い、結綵山に如きて倡楽を作し、闘鶏・撃鞠之戯れ、中国与同じ。但だ衆の楽みて後於、舞う女数人を飾り、両手鏡を持ち、電母に類す。其の国茫然たり。皆な茇舎以て居る。是に至りて方に大屋数千間を営み、尽く中国の為す所を倣う。

十八史略・現代語訳

神保観を修築した。その祭神は、もともと都の人々がおそれ敬っていた神で、まちじゅうこぞって男女が土を担いで献納し、それを献土と呼んだ。また亡霊の格好をした者がいて、土を納めるよう促して歩いた。徽宗は庶民の格好に変装して見物したが、数日後に思う所あって禁止した。

京師・河東路・陝西路で地震が起きた。宮中の建物や門は、揺れ動いて妙な音を立てた。蘭州では草木が地面に陥没し、山の下に生えた麦の苗が、なぜか山の上に移った。

金国にはもともと城郭や宮殿が無かった。契丹そのままのやり方で、あや絹を結んで山を造り、そこで狂言を演じた。一方で闘鶏やポロの遊びは、中国と同じだった。違うのは、大勢が楽しんだ後で着飾った舞姫が数人出てきて、両手に鏡を持った。これは雷神と似ている。

その国は途方もなく広く、人々は普段から野宿していた。しかし国を建てた今となって、初めて数千間の宮殿を作り、全て中国の真似をした。

十八史略・訳注

其神:林本によると、二郎神君(治水の神)だという。

河東・陝西:河東路(山西省の長城以南)と陝西路(陝西省)。
北宋分路図
©Wvawen

蘭州:現在の甘粛省蘭州市一帯。
華北地図

金國:=。1115-1234。
北宋地図

契丹:=。契丹族の王朝。916-1125。
北宋地図

結綵山:林本によると、あや絹を結んで作った山のことで、宋の時代には上元(正月十五日)の前後、正門の前に飾ったという。

倡樂:林本によると、俳優による楽のことで、狂言のことという。

電母:林本によると、俗に雷電を呼んで雷公電母と為し、雷を男に見立てて雷公といい、電(いかづち)を女に見立てて電母というという。

茇舍:林本は草舎・露営といい、大漢和は草中に止宿すること、野宿と言う。

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