十八史略・巻七北宋:徽宗(18)

完顔阿骨打死す

十八史略・原文

金主稱帝、六年而殂。號太祖大聖武元皇帝。弟吳乞買立。改名晟。燕山之地、易州西北乃金坡關、昌平之西乃居庸關、順州之北乃古北關、景州之北乃松亭關、平州之東乃隃關、隃關之東乃金人來路。凡此數關、天限蕃漢。得之則燕境可保。然關内之地、平・灤・營三州、自後唐爲契丹阿保機所陷、以營・灤隸平、爲平州路。得燕而不得平州、則關内之地、蕃漢雜處、而燕爲難保矣。

十八史略・書き下し

金主帝を称え、六年にし而殂す。太祖大聖武元皇帝と号う。弟の呉乞買立つ。名を晟と改む。

燕山之地、易州の西北は乃ち金坡関、昌平之西は乃ち居庸関、順州之北は乃ち古北関、景州之北は乃ち松亭関、平州之東は乃ち隃関、隃関之東は乃ち金人の来たる路なり。凡そ此の数関、天の蕃漢を限るなり。之を得ば則ち燕境保つ可し。然るに関内之地、平・灤・営の三州、後唐自り契丹の阿保機の陥る所と為り、営・灤を以て平にしたがえ、平州路と為す。燕を得而平州を得不らば、則ち関内之地、蕃漢雑る処たり、し而燕保ち難きと為る矣。

十八史略・現代語訳

金の完顔阿骨打は、帝を自称して六年で世を去った(1123)。太祖大聖武元皇帝とおくり名した。弟の呉乞買が君主になった。名を晟と改めた。

北宋が奪回した燕山の地は、易州の西北には金坡関があり、昌平の西には居庸関があり、順州の北には古北関があり、景州の北には松亭関があり、平州の東には隃関があり、隃関の東はつまり金人がやって来た道だった。これら数カ所の関が、天が蛮族と漢人を区切っていた境目だった。

だからこれらを保有しているなら、つまり燕の境を守る事が出来た。しかし関より内側の土地のうち、平・灤・営の三州は、後唐の時代から契丹の阿保機が陥落させて占拠しており、営州・灤州を平州の管理下に置いて平州路と呼んでいた、だから燕を得ても平州を得ていなければ、関所の内側で蛮族と漢人が雑居することになり、燕の地は守る事が難しいのだった。

十八史略・訳注

金主:=完顔阿骨打。音ワン・ヤン・ア・ク・ダ。完顔が部族名で名が阿骨打。1068-1123。金の太祖。位1115-1123。
完顔阿骨打

吳乞買:音ウ・キ・マイ。1075-1135。金の太宗。位1123-1135。遼と北宋を滅ぼし、西夏と高麗を服属させた。

易州・金坡關・昌平(県)・居庸關順州・古北關・景州松亭關平州:いずれも現在の河北省内にある。
燕雲十六州
©Jason22

隃關:=山海関。現在の河北省秦皇島市山海関区。
山海関
©Evawen

三州:共に現在の河北省内にある。平州は現在の河北省秦皇島市一帯。
華北地図

後唐:五代の一王朝。923-936。

契丹:=。契丹族の王朝。916-1125。
北宋地図

阿保機:=耶律阿保機。872-926。遼の太祖。位907-926。

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