十八史略・巻六北宋:仁宗(3)

王曽

十八史略・原文

王曾爲相、王欽若再相。欽若卒。張知白相。知白卒、張士遜相。士遜罷、呂夷𥳑相。惟王曾自天聖初居相位。至是七年而罷。曾初擧進士、靑州發觧・禮部・廷試、皆第一。人曰、狀元三塲、喫著不盡。曾曰、曾平生之志、不在溫飽。眞宗末、正色立朝、。朝廷賴以爲重。作相日、所進退士、莫有知者。或問其故。曾曰、恩欲歸己、怨使誰當。

十八史略・書き下し

王曽相と為り、王欽若再び相たり。欽若卒す。張知白相たり。知白卒す、張士遜相たり。士遜罷められ、呂夷簡相たり。惟だ王曽、天聖初自り相の位に居る。是に至りて七年にし而罷めらる。

曽初め進士に挙げられ、青州発解・礼部・廷試、皆な第一たり。人曰く、三場に状元たれば、じききぬ尽き不らん、と。曽曰く、曽平生之志、温飽に在ら不、と。

真宗末、色を正して朝に立つ。朝廷、重きを為すを以て頼る。相と作る日、進退する所の士、知る者有る莫し。或るひと其の故を問う。曽曰く、恩己に帰るを欲さば、怨みは誰を使て当らしめん、と。

現代語訳

(仁宗が即位した1022、)王曽が宰相となり、王欽若も再び宰相となった。欽若が世を去り、張知白が宰相になった。知白が世を去り、張士遜が宰相になった。士遜が罷免され、呂夷簡が宰相になった。ただ王曽だけが、天聖年間の始めから宰相の地位にあった。しかしこの時になって、七年任にあって罷免された。

王曽はかつて初め進士に合格したとき、地元青州(山東省)での一次試験・中央での二次試験・皇帝自ら行う最終試験で、すべて一番だった。ある人が、「三度の試験で一番とは、これから先、食うもの着るものに不自由しないでしょうね」と言った。王曽は、「私の普段の志は、衣食に不自由しないことではありません」と答えた。

真宗皇帝の末ごろ、厳しい表情で朝廷で執務した、朝廷は、その重々しさに頼った。宰相だったとき、王曽が職を昇降させた者は、それが王曽の計らいだと知る者がいなかった。ある人が知らせない理由を王曽に聞いた。王曽は、「昇進で恩を着せようと願えば、降格への怨みは、誰に引き受けさせるのか」と言った。

訳注

王曾:977-1038。中国北宋初期の政治家・文人。
王曽

相:宋代では、宰相は複数人が任じられた。

王欽若:962-1025。中国北宋初期の政治家。

張知白:?-1028。中国北宋初期の政治家。

張士遜:964-1049。中国北宋初期の政治家。

呂夷𥳑:979-1044。中国北宋初期の政治家。

天聖:北宋の仁宗趙禎の治世に行われた最初の年号。1023-1032。

進士:科挙=高級文官登用試験のうち、主に詩文の才を試す進士科の合格者。

靑州發觧:”地元青州での選抜試験”。青州は現在の山東省。初解は、州県での試験に優等者があった場合、地方官庁から公文書=解を朝廷に送ることで、優等者は首都で更に試験された。

禮部・廷試:礼部試は、宋代では、首都で行う第一次試験の会試のこと。廷試は、皇帝自ら行う最終試験の殿試のこと。

狀元:試験の首席合格者。

喫著:食べ物と着る物。『大漢和辞典』では「喫著不尽」を”食べきれない”と解するが、著を無視した訳と思うし、「不在温飽」とも対応しない。著が動詞の接尾辞として助動詞となるとき、その意味は”くっつく”であり、”食べきれない”では意味を取りこぼしている。

朝廷賴以爲重:林本では、「朝廷、頼って以て重きを為す」と読んでいる。

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